ある日、寄り道をしてみた。
 気付けば順調に季節は流れ、いつの間にか上着を一枚減らしても問題なく過ごせるような暖かさになっていた。
 ついこの間までは、冬特有の差すような冷たい風に耐えかねて、厚手のコートにマフラーと手袋で防備してぶるぶると震えていたというのに。
 手と首を晒しても、全く問題ないような柔らかく暖かな春の風が吹く季節に変わっていた。
 気候の移り変わりというのは、意識していない分かなりハイスピードな物だと改めて実感してしまう。
 今もこうして、通いなれた大学のキャンパスからの帰宅途中、最寄り駅から少しばかり歩いただけで汗が出そうになる。
 今の季節でこんなならば、夏真っ盛りに突入したら一体どうなってしまうのか。ダラダラのベトベトになっている自分が用意に想像出来る。
 今日はこの上なく春めいた陽気の日だ。
 空は青く、白い雲がまばらにその中に浮かび、弱めの風が心地よく吹き抜けていく。
 まさに春というイメージにピッタリの日和。快適な限りだ。
 そしてこんな日だからなのか、とある物が無性に見たくなった。
 いや、もっと正確に表すなら『とある場所』で、『とある物』を見たくなると言った感じだ。
 春というのは、一般的には出会いと別れの季節なのだと良く耳にする。入学式、入社式のような出会い、卒業式等の別れ。その二つが混在する季節なのだそうだ。
 もしかすると俺自身もそういうイメージを持っていて、そういうムードに少しばかり影響されたのかもしれない。
 少しばかり、昔を思い出したのかもしれない。
 駅から続く、コンビニなどが並ぶ大きめの通りから外れて、閑静な住宅外の中を歩く。
 見知った道だった。
 俺は一人暮らしはしておらず、大学には自宅から通っている。
 そのため、それこそ片手で年齢を数えられる頃から数十年の間慣れ親しんだ街なのだから、庭みたいなもんだ。
 住宅街を抜け、少し急になっている坂を登る。運動不足の所為か、足に来るな。
 もう、『とある場所』は目と鼻の先だ。
 百メートル程はあろうかと言う坂を登りきると、緑道の様な道に出る。
 散歩道として作られたようで、石床の道が真っ直ぐと続く道を挟み込むように樹木が植えられており、今の季節は花でも咲かせてるみたいだ。
 少し進むと、植えてある樹木の並びが一端途絶え、少し間隔を開けてから別の種類に変わる。
 深緑から、淡いピンク色の花をつけ、ひらひらと散らしながら咲いている桜へと。
 そこで、足を止める。
 花のついた枝を揺らす風も、それに乗って落ちる花びらも、何も変わっていない。変わっているとすれば、幹の太さぐらいか。
 見間違いかもしれないが、はじめて見た時よりは太く、たくましくなっているような気がする。
 ここに来るのは、二年ぶりだろうか。
 高校を卒業し、何とか大学にも入れて、色々とばたばたした毎日を送っていたらいつの間にかそれぐらいの時間が過ぎていた。卒業式の日に見て、それっきりだ。
「懐かしいな……」
 気付けば思っていたことを口に出して、呟いていた。
 そういえば仲の良かったグループで、花見と称してこのあたりで騒ぎ回っていたこともあったか。
 高校生にもなって鬼ごっこしようとか言い出す奴がいたり、花びらを何枚掴めるかとか阿呆な決闘してたのもいたな。今改めて思うと花見らしいことは全くやってないな。
 ここら辺に俺たちの通っていた高校があることもあって、このあたりはそのエセ花見メンバープラスアルファなんかで、よく通った道だった。
 あいつら、元気だろうか。
 たまにメールで連絡を取り合うくらいで、卒業以来全く顔を合わせていない。向こうは向こうで忙しいんだろう。
 少し寂しい気もするな、なんて柄にも無い事を思うのはきっと春の所為だ。
 ふ、と桜から眼を離し、道の方に向き直って見る。いつもは犬にとっては恰好の散歩コースだからか結構な通行人がいるんだが、今日は少なめのようだ。
 そんな中、散る桜の花びらの中をゆっくりと歩いてくる人影が見えた。
 女の人のようだ。長めの黒髪が風でふわりと靡いている。時折桜を鑑賞するように横に視線を向けている。
 彼女は真っ直ぐ、こちらに向かっている。
 その若干急ぎ気味に歩く歩き方と、全体的なシルエットにひどく見覚えがあった。いや、間違いない。
 瞬時に、懐かしい顔が頭に浮かんだ。
 幼、小、中、高、と腐れ縁的な付き合いだった、幼馴染。
 別々の大学に通う用になり、少しばかり疎遠になっている奴。俗に言う、旧友という奴だった。そういえば、こいつもエセ花見に参加してたっけな。
 そいつが向こうから歩いてくる。なんとも、思いがけない所で会うもんだ。偶然ってのは怖いな。
 あいつが、ある程度の距離まで近づいてきた所で、足を止めたのが分かった。どうやらあっちも気付いたか。
 如何せん俺は眼が悪く、今もコンタクトレンズを装着してるんだがあいつの表情までは伺えなかった。まぁ、驚いているんだろうな。
 心なしか早足になったみたいだ。靴音の間隔がさっきよりも短目だ。
 不思議と俺の心に、驚きは無かった。
 その代わりに、あった物は――。
 そして、同じ桜の前まで、あいつは来た。

「よぉ、久しぶりだな」
「あんた、何でここに……?」
 やっぱり驚いてるみたいだな。それでも、声色が少し嬉しそうに聞こえるのは俺の錯覚じゃないと願いたいな。
 それにしても、この声を聞くのは久しぶりだ。さすがに大学生にもなると見た目は大人っぽくなっているが、この少し高めの声だけは昔のままだ。
「お前は?」
「ここの桜見たいな、と思って……」
 なんだ、お前もか。
「じゃあ、大体お前と同じだよ」
 こいつは思いがけない再会に随分驚いてるようだが、俺は何でこんなにも冷静なんだろうな。
 もちろん、待ち合わせなどしていない。こいつと会うなんてのは夢にも思ってなかった。ただ桜眺めて帰る気だったしな。
 それでもこいつを見たとき、言い知れぬ喜びを感じていた。
 進む道が変わっても、少しばかり離れていても、俺たちは集うんだ。古臭い言葉で言えば、それこそ運命って奴なのかもしれない。
 その運命っていう奴を、俺は喜んでいるようだった。
 見れば、あいつの驚きは収まったようで、ゆっくりと視界から外れるように歩き始めた。
 その先には小さめのベンチが備え付けられていた。大人三、四人分が座れるくらいの幅だ。
 あいつはゆったりとした動作でそれの端寄りに座った。持っていた鞄を膝の上に置き、自分の左隣を微笑交じりでぺちぺちと掌で叩く。
 座れってことか。全く、いつからそんな大人っぽい顔するようになったんだ。
「懐かしいね」
「……あぁ」
 俺もこいつも、目線は桜にあわせたまま気の抜けたように呟いた。
「二年くらい経ったよね?」
「そうだな。卒業式でここに集まって以来だ」
 そう。失業式も終了した後、皆で一緒に連れ立ってこの道を通って帰った。
 遠回りの奴も居ただろうけど、誰も文句なんて言わず今日みたいに心地よい風に吹かれる桜に包まれながら歩いたんだ。

 (それにしても、色々あったなぁ)
 (騒がしい毎日だったぜ)
 (殆どはお前らが原因だけどな)
 (でももう卒業しちゃうのかぁ)
 (何か寂しいわねーちょっとは)
 (何がちょっとだ、さっきは号泣してたくせに)
 (なっ!? な、な、何で知ってんのよ!?)
 (おーおー、鬼の目にも涙ってか?)
 (鬼なんて言ったらまた叩かれるよ……)
 (いーのいーの。記念になるだろ)
 (何の記念ですか……)

 鮮明に、あの時交わした会話が蘇ってきた。
「ホント、最後の最後まで騒がしかったわよね。『不滅の友情を誓って〜』とか宣言しだすし」
「あぁ、そういえばそうだったな。何故か円陣を組む羽目になったしな」
 そうだった。帰り際に、『永遠に不滅の友情』を誓うとか何とかで何故か円陣を組んだっけ。今思っても大げさだ。
 『不滅の友情』、か。俺たちには、まだそれがあるのだろうか。
 二年前高校を卒業し、俺たちはそれぞれ全く別の道へと進んだ。
 大学へ進学する奴。専門学校に通うようになった奴。家業を継いだ奴。留学を目論んでいた奴。
 俺とこいつを含めて、それぞれがそれぞれの道を進んでいる。
 俺にそんな物はあるのかと聞かれても、あると即答できないが、それぞれの目指す物に向けて歩んでいるのだ。
 結果的に顔を合わせることも、殆ど無くなった。
「今思うと、結構楽しかったよね」
 ……そうだな。楽しかったよ、あの時は。認めたくない気もするけどな。
「騒ぎを起こして人を巻き込む、の連続だったな」
「あんた、押さえようとして全然押さえられてなかったね」
「うるさいな」
 けらけらと笑って言われてしまった。
 悪かったな。
 それにしても、驚いた。
 掘り起こせば、あの頃の思い出話なんてのはいくらでも出てくる。それに二年経っているのにすらすらと掘り起こせてしまう俺とこいつにも驚きだよ。
 結局、俺たちはあの時誓った『不滅の友情』とやらは、まだ生きているんだろう。
 そもそも興味が無ければ忘れればいい。要らない物は捨てればいいのだ。
 だが、俺もこいつも頭の中にあの時代のことが、一つ残らず詰まっている。
 それはつまり、俺もあの時のことを大切に思っているっていう証拠なんだろう。そして、それはこいつも同じ。
 ここに来たのは、全くの偶然。気まぐれな感情に突き動かされてのことだった。だが、実際俺は、心のどこかでここに来ることを望んでいただと思う。
 もしかしたらこの二年間、ずっと。
 もう一度『不滅の友情』とやらを感じてみたかったのかもしれない。
 横を見れば、すっかり大人の顔になったあいつが眼を細めた微笑で桜を眺めている。おそらく、自分の中にある『あの時』を見に行っているんだろう。
「忙しいのか?」
「……まぁ、ね。ちょっと疲れたかな」
 何と無しに聞いてみた問に、あいつは桜から目を離さずに答えた。気のせいか、溜息混じりだったような気がする。こう近くに座って見て初めて気付いたが、眼の下には少しくまが出来ているようだ。寝ていないのだろうか。
「最近色々あったからさ」
「大学でか?」
「うん」
 色々、か。さすがにそれ以上突っ込んで聞くなんて野暮はよしておこう。
「なんか疲れたなぁって思ってさ。桜見に来たのよ」
 それで、癒しを求めてここに来たってか。
 あいつがこっちを見る眼で「あんたは?」と聞いているような気がする。
「別に理由は無いんだけどな。気まぐれだよ。春風に誘われたって奴か?」
「ぷっ、何それ」
 さっきより風が緩やかになったようだ。舞い散る花びらの数がさっきよりも少なくなっていた。
 気付けばここに来てから三十分程度の時間が経っていたようだ。
 あいつと、途切れの無い思い出話をしていたらいつの間にかそのくらいの時間が経過していたらしい。
 なんというか、月並みな表現だが時間が過ぎるのを忘れてしまった。
 こいつの話すことは、全部記憶に焼きついていた。そういえば〜、と始まるとあぁ、そうだったとすぐに思い出すことが出来た。
 どうやら俺は、あの頃に重度に汚染されているらしい。いい意味で、かもしれないが。
「なんかさ」
「ん?」
「会いたくなってくるよね」
 実を言うと、俺もだった。
 ここに足を運んだのも、もしかすると無意識にあいつらに会えるかもしれない、なんて思っていたからかもしれない。
 と、その時。俺の頭にかつて無い名案が閃いた。
 
 ――じゃあ、会おうか。
「呼ぶか? あいつらも」
 あいつの顔は一瞬の驚きの後、すぐに懐かしい悪戯っぽい笑みに変わっていた。
 そうだ。そういう顔の方がお前らしいよ。
「大丈夫なの?」
「あいつらが面白そうなこと放っておくわけないだろ」
「だよねぇ」
 絶え間なく散る桜と昔なじみのまぶしい笑顔を見ながら、携帯を取り出した。
 また騒がしくなるんだろうな、と期待に胸を躍らせて。

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