〜『ステップ・オン・ザ・ガス』第一話〜
1.
目の前の車窓を通して、高速で流れていく風景を眺めながら『ハンス・ターキンス』は小さな溜息を落とした。
少しだけ開けてある窓からの風に跳ね気味の茶髪が揺れ、薄く開かれた黒い瞳は何処と無く遠いところを見つめていた。
青を基調とする長袖のシャツは窓の外に広がる青空に映え、黒く着古したズボンを履いた両足を組みながら気だるげに座っている。誰も座っていない隣の席には、一本の剣が立て掛けてあった。
ハンスは眠気の所為か、はたまた別の要因なのか、いつに無くぼんやりと窓を見つめていた。
目的の到着駅までは恐らく、もう一時間程度かかるだろう。そう思うと、憂鬱な気分になり自然と溜息が出てしまう。
だが、決して退屈だからという子ども染みた理由だけではなかった。
ハンスは列車という、人類の生み出した文明の利器とでもいえる産物が嫌いだった。
右斜め前に母親に連れられて座っている三歳前後の子どもを見て、あのように無邪気に騒げたら楽だろうな、とさえ思う。
列車には、良い思い出が無い。
と言っても、列車に良い思い出がある人など稀であろう。ハンスの脳には、『悪い』方の思い出が強烈に刻み込まれているのだった。
いくら年月が経とうとも、頭に頑固にこびり付いて、ハンスの中に居座り続けてる。
今もこうして、ただ二人掛けの座席に座っているだけだ。しかし、たったそれだけであの時にタイムスリップしたかのように鮮明にあの光景が浮かんで来るのが分かる。
少し白みがかった映像。そういえば、あの時も窓側の席に座っていたような覚えがある。そして、隣には―――。
―――姿も、声も、言葉も。
何もかも、鮮明に蘇ってくる。
いつもはたいして機能しないくせに、こんなところの記憶力がよかったのか、とハンスは自嘲的に笑った。
ハンスにとって最も尊敬できる、少年時代の彼にとって『世界の全て』といっても過言ではない程、大きな存在。
それについての最も新しく、そして最も惨たらしい記憶だった。月日と言うのは早いもので、アレから八年の年月が経っていた。
人間は、そう完璧に出来ていない。
数多くの知識を覚えることも出来れば、昔に起きた数多くの事物を忘れることが出来るのも人間だ。それは、人間に許された、ある種の能力なのかもしれない。
今のハンスには、新たな居場所があった。
新たな仲間も得て、やりたいと思うこともようやく見つけることができた(朝イチで列車一時間の辺境まで行かされる始末だが)。
今の彼には、それだけで十分のハズだった。
しかし列車に乗ると、一気にその自信が崩れ去るのが分かった。
まだ自分は、過去に囚われているのだ、と。所詮は、ただより所を探しているに過ぎないのだ、と。
そのように過去が語りかけてくるような気がしてくるのだ。
ハンスはその映像を振り払うかのように深く溜息をついて、後ろ頭をガシガシと掻いた。
勢いよく掻きすぎて、血が出たような気がする。だが、今のハンスはそんなことは気にもせずに車窓から目を離し天井を仰ぐ。
「あー……やっぱ、列車はだめだわ……」
小さく漏らされた呟きは、他の乗客の耳には届かずに汽笛にかき消されて行った。
やたらガタイの良い男が、車両と車両を繋ぐドアを蹴破って入ってきたのは、それから一分もしない後だった。
耳障りな轟音が響き、なにやら大きめな剣を携えた男が数人入ってくる。次の瞬間には、ハンスの目には五人の男が映っていた。
髪型とか、髪の色とか、よく見ると細かな違いはあるのだが、同じような顔だな、とはハンスが抱いた第一の感想だった。おまけに体つきも似ていると来てる。
もしや兄弟なのか、とハンスは場違いな事を考えながら、特に興味も無くぼんやりと見ていた。
「てめぇら! 全員大人しくしてろよ! たった今から、この列車は俺たちが占拠した!」
リーダー格の男が図太い声でそう宣言すると、乗客達はたちまち騒然となった。
驚いて目を見開いたまま固まっていたり、悲鳴を上げながら手で口を覆ったり、と車両に喧騒が広がる。
その様子を見て、仲間の一人が壁を激しく蹴りつけて黙らせる。鈍い音が響き渡ると、悲鳴のような声を最期に乗客はぴたりと静かになった。
「死にたくなければ黙ってろ!」
その男の声を聞きながら、ハンスは段々と状況を理解してきた。
――あぁ、トレインジャックってやつ?
周りの乗客よりもワンテンポ遅くその結論に達したハンスは、深く溜息をついた。
どうしてこう、気分が陰鬱な時に限って厄介ごとが転がり込んでくるんだろうか。
――人が傷心中だってのに。
当然ながら、向こうはそんなことはお構い無しだろうが。
そういえば、こういう仕事をするようになってからは厄介ごとに巻き込まれる回数が多くなってきた気がする。仕方がないと言えば仕方が無い。
そう心の中でぼやきつつ、ぼりぼりと頭を掻きながらキョロキョロと周りを見渡してみると、ハンスの席からさほど離れていない所で震える人影が一つ。
制服から見て、この列車の乗員の女性だろう。完全に腰が抜けてしまっているのか、地面にへたり込んだまま両手で口元を押さえている。
見た目から見て、まだ若い。配属されたてなのかもしれない。それでこんな現場に居合わせるとは、ついてない。
近くには運んでいたらしいカップに入れられたオレンジジュースらしき液体が、床に豪快にこぼれていた。
もったいない、とハンスは場違いに思った。
ハンスは立て掛けてあった剣を取り、座ったまま隣の席に移動した。遠くから男達が、動くな、だとか騒いでいるが、特に気にせずにハンスは無視を決め込んだ。
「もしもーし」
そっと身を屈めて、女性に小さく声をかける。
女性は大げさな程肩を跳ね上がらせて驚き、大きく見開かれた目でハンスを見上げた。
危うく声を上げそうになるが、口元をしっかりと手で押さえたらしい。声は鎮圧されていた。
「俺、こういう者なんだけど」
しかしハンスはそんな様子はお構い無しとばかりに上着のポケットをまさぐり、一枚の長方形の紙切れを取り出した。それをやや投げやりに女性に差し出す。
女性は、訝しげな顔をしながらそこに記された文字をゆっくりと目で追うと、弾かれたようにハンスに顔を向けた。その表情は現在の状況に対する恐怖よりも、驚きの方が勝っていた。
そこに記された文字。
――便利屋ギルド、『ティルヴィング』。
「ま、そういうわけだからさ」
ハンスは、女性の方に顔を向けることも無く気だるげに言った。少しも慌てることなく、焦りは欠片ほども見えない。
剣はすでに、右手に握られていた。
「助け、いる?」
答えなど最初から聞く気も無い。拒否したとしても、無駄。そう言外に語っているような雰囲気をを醸し出しながら、ハンスは女性の前を横切った。
「お、お願いします……」
「りょーかいっ」
消え入りそうな声に後ろ手に小さく手を振って答えると、ハンスは男達の前にゆっくりと躍り出た。
「報酬はオレンジジュースで頼むよ」
相変わらず、頭をぼりぼり掻きながら。
2.
「あぁ? 何だこのガキ?」
面と向かうなりいきなりガキ呼ばわりされ、ハンスの眉根が若干寄った。失敬な、俺は十八だぞ、と心の中で叫んでおいた。口には出さないが。
しかし、そんな様子を見ようともせず屈強な男達はじりじりとハンスに近寄って来る。
「大人しくしてた方が身のためだぜ、坊や?」
からかう声を無視するように、ハンスは剣を肩に担いで仁王立ちのような姿勢で立っていた。坊やってなんだ、とまた少し眉根が寄る。
そのままの姿勢で、ハンスは男達に言った。
「あんたらに恨みとかは無いけどさ、依頼だから」
「あぁ?」
リーダー格の男が呆気に取られたような顔で素っ頓狂な声を上げる。他の仲間も、ついでに言えば後ろの乗客達も同じような顔をしているだろう。
それもそのはず。
いきなり現れた少年が、まるで屈強なトレインジャック犯相手に喧嘩を売っているような振る舞いをしているからだ。
乗客的には、頼むからあまり刺激しないでくれ、という悲痛な叫びを懇願の表情で声を殺して叫んでいることだろう。
しかし、ハンスはそんな物はどこ吹く風という様子で立っていた。
後ろの乗客を振り返ることも無く、目の前の男達に怯む様子など微塵も感じられない。
「正直、一個依頼こなしてきたばっかで、あんたらの相手なんてやりたくねぇとこだけど……」
そのハンスの態度を目にする度に、男達の目つきは鋭くなっていく。
普通の人間なら、恐怖を骨の髄まで刻むであろう形相だ。その殺気立った雰囲気に、後ろの乗客達が息を飲むのが分かった。
だが、ハンスは恐怖など一片も感じていなかった。
そう、簡単な事だ。
こういう類の殺気は、経験上、自分自身に『酔った』奴が出す殺気だ。
負けたことが無く、自分より上に幾千万の人間がいることを知らない。一言で言ってしまえば、世間知らずなのだ。
正直言って、ハンスはそんな者は今までに何十何百と見てきていた。
時には都市の裏で幅を利かせるマフィア相手に立ち回ったりしたことだってある。それに比べれば、恐怖する価値さえ見出せなかった。
「悪ぃけど、倒させてもらうよ」
その一言が車内に響いた瞬間、この場を取り巻く緊張感はピークに達した。
ハンスの態度にさすがにいらついたのか、こめかみに青筋を浮かび上がらせた男達は次々と自分の武器を手にする。
「おいガキ……てめぇ、自分が何言ってるのか分かってんのか?」
「分かってなきゃ言わねぇよ」
ハンスはそこまで言うと、肩に担いだ剣をゆっくりと前に構えた。
眩い白銀の刃が、照明を反射してまるで光そのもののように輝く。
男達も、無骨な太い剣身を持つ剣をそれぞれ構え、ハンスに照準を定める。
「あぁ、そうかよ……! じゃあ、後悔させてやるぜ!」
リーダー格の男が叫び、躍りかかるように剣を振るった。真っ直ぐな兜割。ハンスはひょいと後ろに小さく跳躍し、男の剣は床に激突して突き刺さる。乗客たちが悲鳴をあげているが、ハンスの耳には全く入らない。
間髪入れずにハンスは前に奔る。目の前の男は、頭を垂れた完全な丸腰。
その男の顔面へ目掛け、ハンスは渾身の跳び蹴りを放つ。
「ぐぇ!?」
くぐもった情けない声をあげながら、男はたまらず後ろに吹っ飛んだ。閉じられたドアに後頭部をしたたかに打ち、動かなくなる。
その間、僅か数秒。
――まず一人。
ハンスは心の中で数える。
周りの男たちは身動きも取れず、呆然と突っ立っていた。
そしてはっと我に帰り、一人が奇声を発しながら剣を振り上げる。
しかし、遅い。
ハンスは着地と同時に、身体を軸に回転。右手には白銀の刃が光っている。
そして一人振り上げたままの剣を下せずに、男がゆっくりと倒れた。
――二人。
ひゅん、とハンスの耳に風を切る音が届く。同時にハンスは横に転がる。背後から背中を狙う剣は空を斬った。
小さい舌打ちが聞こえ、男は床を狙う突きの構えを見せる。
ハンスは瞬時に身を翻して立ち上がると同時に、膝のばねを利かせて思い切り床を蹴る。
その勢いのまま、肩口を切り裂く。
――三人っ!
眼前の光景を目の当たりにし、眉根を凶悪に寄せ、二人同時にハンスに向かう。
車両同士を繋ぐドアの前という狭い空間だ。同時に攻めかかるのは、逆効果。
ハンスは瞬時にそう判断し、再び奔る。
男の一人が一瞬怯む。その瞬間を逃さず、ハンスは勢いよく踏み込んで一人の剣を思い切り打った。
激しい金属音と共に剣が弾き飛ばされ、通路に刺さる。
男がそれに驚愕の表情を浮かべるが、すでに遅い。
ひゅっと風を斬るような音。
それを最後に、男は意識を失った。
倒れた男を跨いで、ハンスは最後の一人に向かい奔る。最後の一人は恐怖か、驚愕のどちらともつかない汗まみれの表情で向かってくるハンスを見ている。
反応が追い付かない。見ているしか、できなかった。
銀の刃が躍る。
それを防ごうと無骨な剣が動くが、動揺が剣に伝わっているのか力がこもっていない。あっけなく横に力を逸らされる。
ハンスは踏み込み、そして、腹部を横薙ぎに一閃。
「が……!」
声を上げ、まるで木の葉が風に舞うように、ゆっくりと地面に倒れる。
それを見ている観客たちは、いつの間にか黙っていた。その大立ち回りに、呆けたように大口を開けて見入っている。
まるで大スペクタクルの演劇を見ているように。
「後悔すんのは……」
疲れたように右肩を回し、きん、と鞘に右手の剣を納める。
「あんたらの方だったな」
相変わらず、ぼりぼりと頭を掻きながらハンスは自分の席へと身を埋めた。