〜『スニーク・アップ・ザ・スニーカー』第七話〜    


      1.

 ハンスとアニーが屋敷を出てから、五分ほどが過ぎていた。
 雪の覆われるばかりで何も無い道を、二人は口を閉ざしてゆっくりと歩く。時間が進むごとに天候は悪くなり、回復の兆しを見せない。雪はさらに激しさを増して、二人の頭上に降り注いでいた。
 ハンスはこの寒さの中でも、自分で意外なほどぴんぴんしていた。この町に来た当初は、凍えそうな程寒く感じていたのに。
 元々寒いのは苦手な方だ。しかし、目の前に戦うべき仕事がある為だろうか。それとも、先ほどの出来事が原因だろうか。いずれにしても、そのために身体全体が一種の興奮状態にあるせいで、暑さすら覚える程だった。
 気の持ちようってことか、とハンスは胸中で呟いた。
 ラトフの言っていた空家群は、思っていたより遠いようだ。ハンスは周りの様子を目で観察しながら進んでいく。
 まだ日中と言っていい時間帯であるにも関わらず、町の雰囲気は不気味なほど静かだ。寒波の厳しい雪国で暮らすには、あまり外を出歩けないのかもしれない、とハンスは勝手に想像をした。
 雪を降らせる分厚い雲が空を隠してしまっているせいで、何処か町全体が暗い色を帯びている。そういう暗い雰囲気は、どうしてかハンスの警戒心を煽った。それは隣を歩くアニーも同じだろう、と横目で白い風景に生える色の薄い金髪を見て思った。ちらと彼女の表情を伺うと、やはり形のいい唇を真一文字に結んで険しい表情だった。
 それから数分すると道が行き止まりに差し掛かり、目の前に少し開けた場所が姿を現した。ハンス達が通って来た道よりも幅が広く、円状に開いた場所に五軒程の民家が連なる様に建てられていた。
 ハンス達の正面に、円の弧をなぞる様に建てられたそれぞれの家は、高さも大きさもまちまちだ。二階建てのような、大きい物もあれば小屋程度の大きさしかない小さな物も見られる。
「ここか……」
 ハンスはぽつりと呟いて、足を止めた。アニーもそれに倣い、ハンスの後ろで足を止めて辺りをぐるぐると見渡す。
「……誰もいないな。こりゃ。ま、空家だから来たんだけど」
「確かに、人は住んでないみたいだけどね。この暗い中明りもつけてない。それに、家の玄関周りに雪が好き放題積もってるし」
 ハンスが連なる家に目を凝らしてみると、アニーの言う通りこんもりと雪が積もり小さな山になっている。雪の山の大きさは丁度、玄関のドアの三分の一に達しようかという程だ。
 広場付近の人が多く住んでいる住宅地の周りは、ちゃんと雪かきをしているからこんなに積もったりはしないだろう、とアニーは淡々と言った。
 ハンスはそれを聞いて、なるほど、と感心して大きく頷く。
「お前、頭いいなぁ」
「えぇ? 別に普通じゃない。あんたも気づいてたでしょ?」
「いや? 俺は何か人の臭いがしないなぁ、とか思っただけだ」
 それを聞いて、アニーは露骨に顔をしかめた。
「臭い……あんた、犬の親戚かなんか?」
「さぁ? 猿並みとかよく言われるけど」
「……誰に? とゆーか、何が?」
「ラトフその他に。なんか、全体的に猿っぽいらしい」
「やっぱあんたよくわかんないわ……」
 アニーは脱力したように呟くと、正面に建つ家の一つに近づいて行った。三角の屋根の、二階建ての家だ。玄関近くにポストらしきものが建てられているが、雪を被って何なのか判別が難しくなってしまっている。
 ハンスもアニーの後を追いかける。整備されずに放っておかれているだけあって、深く積もった雪に足を捕られそうになるが、こらえて歩き始める。
 ハンスとアニーは、二人並んで一つのドアの前に立つ。
 人が住まなくなってどのくらいの時間が経ったのだろうか。既に木製のドアはささくれ立ち、ぼろぼろだ。
「……入ってみる?」
「当然」
 ハンスが前に進み出て、ドアノブを右手で握る。背中の方から、気をつけなさいよ、というアニーの声が聞こえた。振りかえらずとも、彼女自慢の槍に手をかけて警戒を強めているのが分かる。
 無論、彼女に言われなくても分かっていた。左手を剣の柄に添え、いつでも抜き放てる体制をとる。
 そして、ぐっとドアを力強く引く。
 刹那、空気が動く音がハンスの鼓膜を微かに揺らす。
 何か、と確認する前に身体が動く。逆手で剣を異握った左手を前にぶつける。
 がん、と響く金属音。
「ハンス!」
「下がっとけ!」
 前向いたまま、アニーに向けて叫ぶように言うと、左手にさらに力を込める。
 ふっと、左手にかかる重さが軽くなった。距離を取ったか、とハンスは直感。そして、彼もまた飛ぶように素早く後退し、雪の上に降り立つ。
 円状の中心周辺まで下がり、『ラヴィアンス』を右手に持ち替える。そのハンスの近くで、アニーも槍を雪の地面をえぐる様に、下段に構えているのが見えた。
 柄が手に吸いつく様な感触を覚えながら、ハンスは胸の内で呟いた。
 ――またこいつの世話になりそうだ。
 ハンスに開けられたドアをくぐる様に、茶色いダウンジャケットを着た大柄の男が一人のそりと雪の上に進み出てくる。右手には、棍棒のような太い鈍器。
「やっぱり潜んでやがったか、あの執事のおっさんの言う通りだな」
「みたいね……」
 数個のばたん、と鋭い音がハンスとアニーの耳に入る。そして無数の雪を踏みしめて歩く音。ハンスとアニーは反射的に音の方向に振り向いた。
 近くに建つ民家からも、剣や斧等思い思いの武器を手にした男達が這い出す。じりじりと逃げ道を奪い、ハンスとアニーを取り囲むような体制。
 出てきたか、とハンスは呟き目線だけでその影の人数を数える。
 ――十一、か。
 結構な数だ。ハンスはふっと小さく息を吐いて気を引き締め、剣の柄をしっかりと握り臨戦体制をとる。
「……おいそこの小僧共、誰の回しもんだ? てめぇら。アリソンの野郎か?」
 ハンスを殴り付けた男が、低い重低音で尋ねてきた。どうやらこの場のリーダー格のようだ。
「だったら?」
 相手のぶつけてくる鋭い視線に、真っ向から相対しながらハンスが言う。四方から矢の様な視線が体中に突き刺さる錯覚を覚えた。
 それを聞いたリーダー格の男は、人の二の腕程もあろうかというほどの太さの棍棒をぶるんと振るい、その先をハンスとアニーに突き付けた。
 そして鋭く言い放つ。
「……証拠隠滅してやるよ。粉々にな」
 空気がざわつくのを、ハンスは肌で感じた。



     2.

 ラトフが突然走り出して階段を駆け上がったのは、殆ど脊髄反射だった。
 乾いた、耳障りな破裂音。すでに慣れ親しんでしまった音だ。聞いてから数瞬で、銃声だと判断が出来た。
 ――あの野郎……!
 奥歯をぎりとかみしめ、階段を一つ飛ばしで跳ぶように登っていく。音に驚いた女中が慌てて広間に入ってくるのが見える。
「引っこんどいたほうがいいぜ!」
 rラトフは女中達に向けて鋭く言葉を飛ばす。彼女らが、指示に従ったかどうかは気にも留めずに走る。
 最後の段を飛び越えて扉にぶつかりそうな勢いで登りきり、ドアノブに飛びつこうとしたその刹那。
 ゆっくりと、自然にドアが開けられる。ラトフはドアから五歩ほどの位置で、慌てて立ち止まった。
 そして、中から一人の男。確認せずとも分かった。ユベールだ。
 その姿を確認した瞬間、ラトフは目を見開いた。
 視線はユベールの右手で止まる。
 その右手には、茶色く細いシルエットの筒を持つ銃があった。銃身には獅子のようなレリーフが象られているのが目に入った。
 ラトフはユベール越しに、視線を部屋の中に投げ入れる。
 絨毯の上に人が一人、うつぶせで倒れている。きっちりと整えられた紺のスーツ。そして、灰色の髪。見慣れ過ぎた特徴が、ラトフの目に入り込んでくる。
 ラトフの心臓の鼓動が、跳ねあがった。
「てめぇ……! そいつで何してやがった!」
「音を聞けば分かろう?」
 噛みつくように言ったラトフを前にして、ユベールはにやりと笑いながら言う。
 ラトフはその顔を一瞥した後、素早く部屋の中へ滑り込んだ。部屋に足を踏み入れると、僅かに血の匂いが鼻をくすぐった。それが否応無くラトフの焦燥感を煽る。
 絨毯に転がるアリソンに駆け寄り、その身体の下に手を添えて、支えるようにして仰向けにする。
 アリソンは、うめきながら左の脇腹の辺りを抑えている。その手越しに、赤い色が僅かに見えていた。
「おい、アリソンさん! 大丈夫か?」
「く……ラ、ラトフさん……」
 アリソンが強くラトフの右手を掴んだ。そして、額に脂汗を滲ませながら言う。
「と、盗られた……」
「盗られた!? 何をだ!?」
「彼女の……お嬢様の……」
 ――『エリノア』の……?
 その名前が苦しげに出されるのを聞き、一瞬ラトフは思考が止まる。同時に、暖炉の灯った部屋にも関わらず、氷の様な悪寒が背筋を撫でたような感触を覚える。
 もしや、彼女に何かが……? ラトフの混乱を余所に、アリソンは彼にすがりつくように声を絞り出す。
「あいつの、何だ?」
「教えてあげようか」
 ドアの方から声が飛んできた。実に楽しそうな、余裕の滲んだ声色。それを聞くと、ラトフの身体を虫唾が走ったような不快感が襲う。
 反射的に首をそちらに向けると、ユベールは数枚の書類をひらひらと顔の前で揺らしていた。
「『アーデンロード』に関する権利が明記された書類さ。『ディルク・アーデンロード』が遺したね」
「遺した、だって? ……じゃあ、あいつの親父さんは……?」
「おや、知らなかったのかい。まぁ、ごくごく最近の話だから仕方がないと言えばそうか。まぁ、便利屋風情では知りえないのも無理はない」
 その言葉を聞いて、ラトフは頭に鈍器で殴られたかのような衝撃を受けていた。思わずアリソンに向かって視線を投げかける。
 それを見たアリソンは脂汗の浮かぶ顔を、バツが悪そうにすっと俯ける。
 無意識に非難めいた視線を飛ばしてしまっていたらしい。今のラトフにはそこまで気が回るほど、冷静ではいられなくなっていたが。
 しかし、アリソンが何も言わずともその行動が、先ほどの事実を裏付けているように感じられた。
 彼女の父が、死んだ。
 人の死は過去を想起させる。ラトフの頭に、その姿が克明に思い浮かんでくる。
 厳格であったが、寛大だった男。便利屋であるラトフを護衛として雇う事に、最後まで難色を示していた男。
 唐突に、ベッドに横たわるエリノアの青白い顔が雷光のように頭に浮かび、瞬時に消える。
 ――あいつは、もう一人なのか……。
 思わず、そう呟いていた。
 彼女は六年間も眠ったままだ。その事実を知ることは出来ない。しかし、とラトフの思考はひとりでに飛躍していく。
 だから、目を覚まさないのかもしれない。彼女を待つ家族がもういない世界に、帰る事を拒んでいるのかもしれない。
 しかし、とラトフは自分がたどり着いた思考を、無理やり頭から締め出した。今は、そんな事を考えている場合ではない。
 視線をもう一度、ユベールにぶつける。
 目の前に立ち、口元をにやつかせながらこちらを見ている男。奴は、眠る彼女を利用しようとしている。詳細は分からないが、奴はたった今、彼女の、アーデンロードに関する権利を掌握したらしい。たった一枚の、かけがえのない家族の意思が託された紙切れを使うことによって。
  ユベールがそれを狙っていたのは確実だろう。この屋敷にやってきたのも、周りを探らせていたのも、このための布石だったのだ。ハンスでは無いが、自身の勘をあてにして正解だったらしい。
 ならば、やることは一つしかない。
「アリソン君。君は気の付く、優秀な執事だ。責任感も強いのだろう。かつてのとはいえ、主人の遺言を守ろうとしていたのだろう? けれど、裏目に出たようだね。こういうものは肌身離さず持っていれば安全だと思ったのかい?」
「くっ……」
 楽しげに言うユベールの言葉に、アリソンが歯噛みをしながら、呻く。
 ラトフはその姿と、ユベールの顔を交互に一瞥するとおもむろに懐へと両手を突っ込む。コートの腰当りの裏地に縫い付けられた、革のホルスター。そこに収められた二挺の黒い相棒のグリップを両手に握り、勢いよく引き抜く。
 仕事に臨む前に、弾は補充してある。点検も念入りにやってきたつもりだ。最大限に使用できる。
「悪いな、アリソンさん……ちょっと時間くれ。あれ取り返して、全員ぶっ潰したら医者呼ぶからよ」
「ほう、やる気かい? こちらに何人いると?」
 空いた扉の向こうから、足音が響いてくるのがラトフの耳に届いた。何人かは分からないが、複数いる事は間違いがない。下の階にいた男達が、先ほどの銃声に反応し、ユベールを援護しに来たのだろう。
「ラトフさん、貴方一体何を……!?」
 ふらりと立ちあがったラトフを見て、アリソンが驚く。しかし、ラトフは微笑をたたえてアリソンを見下ろしていた。
「大丈夫だ……」
 安全装置をはずし、いつでも撃てる大勢をとりながら、すっと顔をアリソンにわずかに向ける。
「今度こそ、あいつは俺が守るよ」
 彼自身、意外なほど穏やかな声色でラトフは言った。

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