〜『ステップ・オン・ザ・ガス』第四話〜


1.

「見られてた?」
 ハンスの言葉に、ラトフは素っ頓狂な声で聞き返した。
「誰に?」
「さっきの部屋に居た奴だよ。館長についてきた二人のうちの一人だ」
 ハンスは淀み無く言い、それを聞いたラトフは腕を組んで唸った。
「……気のせいじゃないか?」
「いや、ばっちり目が合った」
「目が合っても別に不思議じゃないだろ」
「その目つきがヤバかったんだよ。こう、なんか、な」
 ハンスの言葉は要領を得ず、最後には手をせわしなく動かすジェスチャーで終わってしまった。
 それにラトフは肩をすくめて応えた。
 二人が応接室を出てから、数分が経過していた。
 詳しい依頼内容以外の大まかな事は前もって取り決めておいた為、話自体はさほど時間がかからなかった。
 新情報といえば、ハーティという人物と、ようやく『護衛対象』が間接的に紹介されたことぐらいのものだ。
 どこか誇らしげに、また重苦しい口調でハーティが言うにはそれは『剣』であるらしかった。
 剣が美術品なのかとラトフは首を傾げて聞いたのだが、新進気鋭で最近名を上げ始めたものが製作したらしい。ラトフもハンスもちっとも聞いた事は無かったが。
 要は、剣という形をした『オブジェ』である。後ほどお目に掛けましょう、とハーティは興奮気味に言っていた。
 彼はその後、身分上忙しいのかそそくさと業務に戻って行ったので、二人は美術館内に見回りを兼ねた散策に繰り出していた。
 そして、絵画コーナーの巨大な額縁に入った森林の絵の前に通りかかった所で、ハンスが話を切り出したのだった。
 ――監察されているような視線を感じたことを。
「気がつかなかったのか?」
「こっちは話つけるのに忙しかったんだよ」
 ラトフのその言葉に偽りは無さそうだった。
 今回は例外だが、基本的にハンスは報酬交渉等には立ち会わない。普段の仕事でも秘書やラトフ、組合長に殆ど任せきりなのだ。
 彼自身、報酬の額などには興味が無い。
 そんなことよりも惰眠を貪る方が大切のようで、大抵は交渉中は昼寝の世界に旅立っているのが通例だ。
 今日は例外だったが、ほぼラトフ一人で話を進めていた。故に周りの視線などには興味を振る巻いていられなかったのだろう。
 ハンスは低く唸った。
「分かったよ、ただ今はそればっか考えててもしょうがないだろ?」
「まぁ、そうだけど……」
 ハンスは不満げな声を上げ、口を拗ねた子どものようにひん曲げた。それから渋々ながらも納得だ、と言わんばかりの表情で頷いた。
 それを見てラトフはやれやれ、と苦笑を浮かべる。
 ラトフとしても、ハンスの言葉を馬鹿なことだと一蹴する気にはなれない。
「何か、気になるんだよな」 
 見かけの割に、ハンスの感覚は鋭いのだ。
 危機管理能力というか、危機察知能力は並の人間と比べても優れているのは明白だ。
 彼と仕事をするようになり、ラトフはそういう場面と何度も遭遇したことがあった。頭でごちゃごちゃと考えているというより、直感のようなのだ。
 やはり父親譲りか、とラトフの心に一瞬だけ浮かんだがすぐに消えた。
 ラトフは気を取り直して、とまるで教師のように人差し指を天井に向ける。
「よし、ここからは分担と行こうか」
「分担?」
 それを聞いたハンスが首を傾げる。
「二手に分かれて中を回ってみよう。一応仕事場だしな」
 自由行動と言うことか。それなら動きやすいかもしれない。
 ハンスはそう思い、構造くらい頭に入れといた方が良いだろ、と言うラトフに頷いて同意した。
「そうだな……一時間くらいしたら集合しとくか」
「じゃ、あの下でどうよ?」
 ハンスはそう言って、ロビーのほぼ中央にそびえ立つ柱を指差した。
 床と天井を貫く鮮やかな白を放つ柱の上部には、木製の味のある丸時計がかかっている。
 なるほど、あれなら目立つと呟き、ラトフは頷く。
「あぁ了解。じゃあまた後でな」
「おう」
 ラトフは軽い口調でそう言うと、ハンスに背を向けて歩き始めた。上背のある背中が小さくなって行く。
 彼の背中ある程度見送ってから、ハンスも移動を開始した。
 当然、適当に回ってみるだけなので目的地など無い。
 とりあえず足が自然に向く方に任せ、かわりに頭を回転させていた。
 ――さてどうしようか。
 ハンスは自問していた。 
 一時間の自由行動。
 正確には自由ではないが、制約が無いという点では似たようなものである。その間に何か行動を起こしておくべきだろうか。
 そう考えているうちも、自然と思考は傾いていく。
 あの視線。
 眼が合うなんて別に不思議じゃない。おそらく、ただの気のせいだろう。
 ラトフはそんな風に言っていたが、どうもハンスには事はそう単純ではないと無い頭で考えていた。
 自分の中の何かが、絶えず警告をしているのだ。
 何よりあの冷たい輝きを放つ目の異常さは、直接見た者しか分からないんだろう。
 ふと、ここでひとつ無茶をしてみようか、とハンスは突拍子も無く思いついた。
 あの男は見る限り、館長であるハーティの補佐的な役割に位置する者のようだった。言うなれば秘書という立場に近いのかもしれない。
 ともすれば、ハーティに面会に行けばもう一度接触が図れるのではないか。
 ハーティに会いに行くきっかけは何でもいい。仕事のことで、とか何とか適当な理由をつければ恐らくは会ってくれるだろう。
 ハンス達を含めた便利屋は、仕事を受け持っている側なのだ。滅多なことでは無下には扱われないだろう。ハンスの歩みがだんだんと遅くなる。
 もしそうなら、ハーティと共にいるはずだ。
 あの男の正体がもしも――。
 実は表向きに出来ないものだとしても、今は秘書の顔をしているのだから。
 ハンスはここまで思案して、深く深呼吸をした。逸り過ぎている自分自身を落ち着かせる。
「おい」
「うおっ!?」
 耳元で、声がした。ハンスは思わず跳び上がった。
 そこには、さっき遠ざかって行った筈の男がすぐ横に立っていた。
 落ち着くどころか心臓が口から飛び出してきそうになってしまった。
 いつの間に、とハンスは内心で呟いた。思案していた所為で近づいてくるのに気付けなかったようだ。引き返して来たのだろうか。
「何だ、忘れ物か?」
 非難めいた視線と共にハンスがそう言うと、ラトフは曖昧な笑みを返して来た。 
 そして彼よりも低い位置にあるハンスの右肩に、ぽんと手を置いた。慎重に見合った大きな掌。ラトフはハンスよりも十センチ程背が高かった。
「無茶な事はすんなよ」
 目を丸くするハンスにラトフは短く告げて、またも素早く遠ざかって行く。
 歩きながらハンスに向かって、背中越しに右手を軽く上げた。じゃあな、と口で言う代わりのようだ。
 たったそれを言うためだけに来たのだろうか。ハンスは小首を傾けながらその様を見送った。
 いやもしかして、とハンスは思い直した。
 ――バレてたか。
 ラトフはハンスがどういう行動を取るか、大体の予測がついていたのかもしれない。頭でグズグズ考えるよりも、とりあえず行動を起こしてみる。
 それはハンス自身自覚していないものの、一応のポリシーのようなものだった。
 組んで二年余り、何となく悔しいがラトフにはすっかり自分の性格を把握されてしまっているらしい。
 そう思って、ハンスはバツが悪そうに頭を掻きながら、去っていく背中を見送った。
 時刻はそろそろ夕刻を過ぎ、日も沈みきった関係で薄暗くなっている。すっかり弱弱しくなっているオレンジ色の光が、白い床を照らしている。
 もし奴らが動くとしたら身を隠せる夜あたりだろうか。
 こちらから、動くべきか。
 ハンスの足は、自然と館長室に向かっていた。 

 

2.

「申し訳ありませんが、館長は今出ております」
「あー……」
 思わずハンスは眉根を寄せ、気の抜けたような声がひとりでに出ていた。
 館長室はラトフと二人で通された応接室とさほど距離は離れておらず、特に急ぎもせずに歩いて一、二分の所に位置していた。
 関係者以外の出入りが普段から殆ど無い所為か、華やかなロビーに比べて随分ひっそりとしている印象を受ける。
 ハンスはとりあえず向かった館長室の前で、丁度通り掛かった係員に呼び止められてしまっていた。
 係員という身としては、重要な区画を剣を携えた若造がちょろちょろしているのは見過ごせなかったらしい。至極当然なのだが。
 一応ハーティから雇われたということを告げた上で、適当に館長に用がと曖昧に答えると返って来た答えがこれである。
「新作の提供者の方との打ち合わせが最終段階に入っているとのことで、外に……」
「いつ頃戻る?」
「さぁ……私には分かりかねますが、お時間が掛かるかと……」
 ハンスはそうか、と気の無い返事をして残念そうに溜息をついた。
 当然といえば当然なのかもしれない、とハンスは思う。
 その展示物とやらは、ハーティにとって一世一代の代物であることは間違いないようだ。念には念を入れた準備ということだろう。  
 そろそろいい時間帯に入ってきたために客の数が減ってきており、今やこの美術館に残っているのは便利屋かまたは警備の者くらいになっていた。
 その中でも、美術館に不釣合いな物々しい武器を持っている人間が便利屋らしかった。
 ハンスの嗅覚が正しければ、ここまで来るまでに少なくとも五、六人の存在を確認できた。この館中となれば十人以上はくだらないのかもしれない。
 鉄火面のように表情を崩さずにハンスを見てくる係員を前に、ハンスはふと浮かんだ疑問を訊ねてみた。
「あ、それって秘書もついて行ってる?」
「は? 秘書?」 
 怪訝そうな渋い顔で返された。
 何で秘書のことを、と思ってるんだろう。まぁ当然だろうなと、別に不快にも感じずにハンスは思った。
「そうそう。二人いただろう?」
「アランとローブナーのことですか?」
 ――アランとローブナー。 
 ハンスはその聞き慣れない二つの名前を頭に刻み付ける。
 さっきその二人と会った時には、名乗っていなかった。
あえて名乗らなかったのか。
「ローブナーは館長について歩いているのを先程見ましたが……アランは館長がいない間、館内の業務を担当していたはずです」
「てことは、まだ一人はこの中に居るんだな?」
「そうだと思いますが」
 それを聞いて、ハンスは顎に手を当てて何かを考える仕草をした。  
「アランって茶色い髪を後ろに撫でつけてる、背の高い方?」
 先程の男のことを思い出して、尋ねる。
 確か黒のスーツをきっちりと着こなし、ハンスよりも色の濃い茶髪だった。
 そして刃のように鋭く、闇のように深く暗い目。
「えぇ。よくご存知で」
 ――ビンゴだ。
 何で知っているんだろう。そう言いたそうな目で再び見られながらも、ハンスは心の中で呟いた。
 心の奥底が昂ぶって来るのが分かった。
「ちょっと、詳しく聞きたいんだけど」
「はぁ……」
 それから数分後、係員は渋面のまま丁寧に頭を下げ、失礼しますと言って遠ざかって行った。勤務時間内なのに結構な時間拘束されてしまったからだろうか、その背中にハンスは右手を軽く上げて一応の感謝の意を表した。
 見送りながら、ハンスは何時の間にか口の端が上がっているのに気がついた。
 予想以上の収穫だった。
 ハンスとしては奴ともう一度面と向かっておきたかったのだが。
 ふと、近くの壁にかけられた時計を見ると、四十分以上時間が経過している。ラトフと待ち合わせた時間まで、残り十五分程。
 そろそろ時間だな、とハンスはここに来るときに比べると格段に軽くなった足取りで、待ち合わせの時計台に向かって歩き出した。
 一仕事する前に、沸きあがってくる高揚感と緊張感。
 ハンスが『便利屋』を生業とするようになって、初めて気付いた自分の性質。奥底から何か、説明のつかないモノが湧き上がってくるのだ。
 ――さぁ、どうなるかな。
 ハンスはいつしか、祭りを楽しみに待つ子どものように胸を躍らせていた。
 もはや、眠気と気だるさは消えていた。

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