〜『スニーク・アップ・ザ・スニーカー』第二話〜
1.
ラトフがエリノアの元を訪れてから、二時間ほどが過ぎた。
普段は顔を見て、たまに部屋を整えるだけなので十分と時間はかからない。だが、懐かしい顔に会った所為か、はたまた久しぶりに訪れたからなのか、普段よりも長い滞在になっていた。
エリノアの部屋を後にし、ラトフとアリソンの二人は病院に面した大通りに立つ。
「では、また後日。……よろしくお願い致します」
「あぁ、また今度な」
お会いできてうれしかった、と言いながらアリソンは優雅な動きで会釈すると、駅に向かって大通りを進んで行った。紺のスーツが風にはためきながら遠ざかっていく。
ラトフはその後ろ姿を何とも言えぬ表情でしばらく見送り、自身も岐路につく。
再び雑踏に紛れるように商店街を突っ切りながら、ラトフは先ほどの話を思い出していた。
――依頼がある。
そう、アリソンは切り出してきた。
彼は普段から丁寧で柔らかな言葉づかいをするが、大事な用件を伝える時や急を要する時等は低めの緊張感のある声で単刀直入になるのだ。
どの内容といえば、最近、彼の勤める『クエルティ』の屋敷周辺で不穏な動きがあるのだという。具体的に言えば、屋敷周辺を怪しい者達がこそこそと嗅ぎまわっていると周辺の住民から情報があったのだ。
彼の主もそこでは名のある家らしく、財産等を狙って何か行動を起こそうとしている人間がいる可能性がある。その調査を請け負ってもらいたいとのことだった。
警察にでも、届け出ればいいのではないか。それを聞いたラトフはまずそう問うた。
実際に届け出はしたが、後日人員を送るという返答から音沙汰が無いのだ、とアリソンが僅かに眉間を寄せて言ったのを思い出された。そういう訳なので、信頼も出来て腕の立つ者に頼みたいのだ、とも。
それで俺たちに回ってきたわけか、とラトフは思う。彼は、一応信頼はしてくれているようだ。
こんな俺をか、とラトフは自虐めいた苦笑を浮かべた。
答えは急がない。もしこの依頼を受けてくれるならば、後日訪れた時に知らせてくれ、とアリソンは言い残して去って行った。
ふ、と自然に溜息が漏れた。安堵によるものか、それとも気負いによるものか、ラトフ自身にも分からない。
仕事を持ち帰れば、マスターのラナードを含む全員は喜ぶだろうな、と事務所へと歩きながら考える。先の件でそこそこの報酬も獲得したが、それ以来仕事はほとんどなかった。
便利屋というのは、仕事を選ばない人間だ。依頼主が持ち込んだ厄介事を中身がどうであれ解決するのが便利屋。そのせいか、犬探しや恋人の浮気調査だのとなんとも下らなく、気が乗らない仕事が入ってくる事も日常茶飯事なのだ。
だが今回は違う。前回の美術館の件もなかなかやり応えのある仕事であったが、今回のもまぁまぁらしい。ハンス、それにいつの間に業務提携を結んで、まるで我が家のように居座っているアニー達は喜んで受けるだろう。
だが、とラトフは考える。
彼自身はどこか、気乗りがしないのだった。
『アリソン・ホフマン』という懐かしい顔から、過去を連想してしまったためだろうか。思い出せば出すほど、懐かしくもあるやりきれない思いが、ふつふつと胸の内に湧き上がる。
彼女が倒れる姿が、鮮明に――。
ラトフはそこまで考え、慌てて思考に歯止めを掛けた。今考えたものをかき消すように、小さく頭を振った。
「臆病ものだな、俺は」
ラトフは自嘲気味に笑って、呟いた。
すると、前もろくに見ないで歩いていた所為か、逆方向へ向けて歩いて来た通行人の一人にぶつかりそうになる。
「おっと、悪ぃな」
ラトフは軽い調子で謝った。
その男は灰色のロングコートを羽織った大柄。鷲鼻で、四角い顔だった。
男は刃のような鋭い眼差しでラトフの方を一瞬垣間見て、何の反応も示さずに踵を返して歩いて行ってしまった。
ラトフは思わず鼻を鳴らす。自分の方に非があるのだが、ああいう態度を取られると腹が立ってしまうのも事実だ。
そして、ようやく自分の目の前の景色をしっかりと視界に収める。
いつの間にこんなに歩いたのだろうか。
彼の足は『ティルヴィング』の事務所の前に到着していた。
2.
ラトフが無造作に事務所の扉を開けると、見慣れた広い部屋が視界に広がる。心なしか、安堵感が広がっていくのが分かった。
部屋には四人の人間が思い思いの事をしていた。
デスクワークを終えたのか、マスターのラナードは新聞を、秘書のリネットは何かの本を手にしている。一方でハンスはソファにだらしなく寝転がって寝息を立てており、そのソファの背に腰かけてアニーがカップの紅茶を飲んでいた。
眠っているハンス以外はラトフの帰還に気づき、顔をそちらに向ける。
「お帰りラトフ。随分遅かったじゃないか」
ラナードがまず声を掛けてきた。
「あぁ……懐かしい顔にあってさ。少し、話しこんでた。何かあったか?」
概ね何時も通り暇だ、と笑みを浮かべながら首を振るラナードを見て、ラトフは笑う。しかし、どこか不自然な笑みだったらしいのが自分でも分かった。
少し座って休憩でもしたい気分だったが、ソファはハンスに占領されている。仕方なく諦めて、ドアの近くのカウンターに寄りかかり、ふぅとため息を吐いた。
「何? 随分疲れてるみたいだけど」
その溜息に反応したのか、アニーがカップを手にしたまま問う。するどいな、とラトフは思わず苦笑した。
「別に……何って程でも無い。ちょっと、気疲れみたいなもんさ」
「気疲れ?」
「あぁ。手にかかる弟分に、妹分まで出来たからかもな」
「なにそれ」
ソファに寝ているハンスの体の上を跨ぐように、アニーと言葉を交わす。それでもハンスはぐっすりと眠り、起きる様子はない。
アニーは妹扱いされたのが気に食わなかったのか、それともラトフの冗談めかした口調が気に障ったのか眉根を寄せ、僅かに睨む。その仕草が思ったより子どもっぽく見えて、ラトフは声に出して笑った。
しかし、やりすぎると彼女自慢の槍が飛んできそうだ。
アニーの睨む視線から目を逸らした。そしてラトフはマスター、とラナードに向かって呼んだ。
「『ジュワユーズ』、活動再開ね……世の中物騒になっていくものだ……ん? あぁ、何だい?」
ぶつぶつと独り言を言いながら新聞を読んでいたラナードは、弾かれた様に顔を上げてラトフを見る。
「ちょっと部屋で休む。そいつ見てたら眠くなっちまったよ。何かあったら呼んでくれ」
「あぁ、分かった。まぁ、当分依頼も無いとは思うけどね……」
ソファを指してラトフが言うと、ラナードは苦笑しながら答えた。
――少ししたら話そう。
ラトフは二階への階段を登りながら考えていた。古い木造の階段が、ぎいぎいと音を立てる。
まずは昼寝でもして、頭をすっきりさせておきたかった。このままでは、際限なく過去へと意識が飛んで行ってしまいそうだ。
アリソンの話をするのは、その後にしようと思い立つ。
階段を登って二階につくと、狭い廊下が伸びている。その廊下を挟み込むように左右に部屋が並んでいた。右に三つ、左に三つの合計六つの部屋。
ラトフとハンス、そしてマスターのラナードはこの部屋に殆ど寝泊りしながら生活している。秘書のリネットは、近所に家を借りて住んでいるたようだった。
階段から見て右側の一番奥。そこがラトフの部屋だ。
ドアを開けると、殺風景な部屋が広がる。右手に窓があり、その下には白いシーツが掛けられた備え付けのベッド。左手にはラトフの身長くらいの高さのクローゼットが置いてあり、その隣に小さめの棚が立っている。銃関係の備品を収めてあるのだ。
殆ど眠るだけの場所。あまり余計な物は置いていなかった。
自室に入ったラトフは羽織っていた黒いジャケットを脱ぎ、クローゼットの中に少々乱暴に突っ込む。そして、自分の体をベッドに投げ出すように寝転がった。
とにかく今は休めよう。
体ではなく、自身の心のようなものを。
そう思い、ラトフは目を瞑った。
3.
『ミークネス』のとある屋敷の書斎の中に、一人の男がいた。
暗い色合いの茶色い壁。それに合わせたような色のデスクが窓を背にして設置されている。その向かって左手には、来客用の椅子がガラス張りのテーブルを挟むようにして置いてある。
男はデスクに足を組んで、深く腰掛けていた。
白いワイシャツに、血の様なワインレッドのスーツズボン。上着はデスク近くに備え付けられた服を立てるための棒に掛けられている。そのポケットからは、鳥の羽根のような飾りが覗いていた。
右手には羽根ペンを持ち、今さっきまでデスクに向かっていたことを思わせた。
だが今はデスクにから視線を離し、ただ無表情に正面のドアを見つめ続けている。
男の顔は面長で、すっと鼻筋が通り均整の取れた顔立ちだった。短めに整えられた光沢のある黒い髪は、後ろの窓からの光を反射していた。
すっと懐に手を入れ、金縁の懐中時計を視線だけ動かして見る。
そろそろか、と男は呟いた。
すると、木目のドアがノックも無しに開けられた。
そこには大柄の男が一人立っていた。
「そろそろ来ると思っていたよ。君は時間に正確だと聞いた。そうだろう、ベルホルト君?」
男は椅子から立ち上がり笑顔を交えて気さくに話しかける。しかし、大柄の男――ベルホルトは反応を示さずにずいと部屋の中へと足を踏み入れた。
男はそれを見ても気分を害した様子は無く、どこにでも座ってくれと促した。
ベルホルトは来客用の椅子にどかりと腰を下ろす。
その向かいに座り、何か飲むかい、と男が聞くが、手のひらを上げてベルホルトは拒否を示した。
「……用件は? 『プランケット』家の人間が俺に何のようだ?」
ベルホルトはいきなり切り出した。
それを聞き、太く野太い声だな、と男は苦笑交じりに思う。何処か無愛想な声色だ。
見た目に相応な、何にも動じないような強固な精神を感じさせる声だった。
「ほう。私の家名を知っているのかい」
「嫌でも耳に入ってくる」
「そうか。私たちの名も少しは大きくなってきたものかな」
「良い噂では無いぞ」
「分かっているさ」
ニヤリと笑って、男は言う。そして今一度目の前のベルホルトを観察した。
灰色のコートを羽織った大柄の男。さすがに体躯は屈強であり、顔にもうっすらと無数の古傷が見受けられた。一般的な剣よりも細長い刀身を持つ得物が、鞘に収められた状態で腰に提げられていた。
――傭兵を体現しているな。
男はベルホルトを眺めて思う。
どうやら彼は手早く本題に入りたいらしい。口数も多い方では無く世間話は苦手な性質のようだ。
「……さて、君をここに招いたのは他でもない。『不死身』とまで噂される君の腕を見込んで頼みたい事がある」
「……」
ベルホルトは沈黙を以て、先を促す。
「私には生まれながらに得続けなければならないものがある。そのために、あるものを潰さなければならない」
男の声に、若干の熱がこもる。
「計画はすでに練っている。機がようやく熟したのだ」
男はそこまで言うと立ち上がり、デスクの引き出しから一枚の封筒を取り出した。
そしてベルホルトの眼前に突き出すように渡す。
「中を見たまえ」
ベルホルトは怪訝そうな顔をしながらも、言う通りに無骨な手で封を切る。
その中から現れたのは、一枚の白くシンプルな便箋だった。見た限りでは一定間隔で罫線が引かれている以外には特徴はない。
それは二つ折りにしてあり、罫線はびっしりと文字で埋まっている。
ベルホルトは黙って文字を目で追った。男はその様子を何処か可笑しそうに眺めている。
「……これは」
「分かったかい? 私が機は熟した、と言った意味を。まぁ、要はタイミングの問題なのだがね」
男は椅子から立ち上がり、部屋の中をゆっくりと歩きまわりながら言う。手を後ろに組み、視線は天井へと流れていた。
「……この名は知っている。たしか、六年前に娘が事件にあったはずだ」
「そう。その通り……」
男の顔が僅かに歪んだ。怒りとも、悲しみとも、憎しみともつかぬ顔に。
ベルホルトは黙って男の言う事に耳を傾ける。
「……六年かかった。忌々しい、六年間だった。当初の予定ならば六年前に成就しているはずだったのだ。だが、その男の為に……この私を相手に、随分な真似をしてくれた」
男の声から徐々に怒りの感情が滲み出る。自然に、右の拳に力がこもる。
強く、荒い声で――。
「だが、もはや邪魔はいない」
男は、宣言するように言い放った。
「私が全て奪い去る。君にも、力を貸してほしい」
言いながら男は思う。
迷いなどは一片も無い。罪悪感など溝に捨ててきた。全ては自分の家名に、自らの名に掛けられた使命だ。
そのためならば、どんな事でも成す――。
「……そこまで言うのなら仕方ない。受けよう、『ユベール・プランケット』」
ベルホルトは手に持っていた便箋をテーブルに置き、観念したような声で言った。
男――ユベールはそれを聞くと満足そうに笑った。
テーブルの上の便箋は、この文言で始まっていた。
『ディルク・アーデンロード』伯爵の訃報――。
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