〜『スニーク・アップ・ザ・スニーカー』第三話〜
1.
ラトフは気がつけば、小奇麗に装飾がなされた広い部屋に立っていた。
床には高級感のある赤い絨毯。十数個のテーブルが点々と置かれ、その上には様々な料理の皿が載せられている。
高い天井には白く勇壮なシャンデリアが吊るされており、その場のめかし込んだ人々を照らしている。
ラトフは丁度部屋の中央付近に立っているようだった。彼の周りには、グラスを持ちながら思い思いの相手と談笑をする人々が見える。
辺りを見回しながら、ラトフはどこか輪郭がぼやけているような、不思議な感覚を覚えた。それと同時に、強烈な既視感も。
そしてラトフは一人頷く。
――こりゃ、夢だ。
実際は眠っているせいか頭がぼんやりとしているが、部屋の装飾や頭上のシャンデリア等、どれも確かに見覚えがある。
視線を下げて自分の格好を見てみると、白いネクタイに黒い燕尾服という有様だった。普段ならば絶対に身につけない服だ。
そして同時にはっと気づいた。
いつもと同じシャツにジーンズで行こうとしたところ、立食パーティーにその格好は駄目だ、と無理やり着替えさせられたのだった。
――六年前の、あの日に。
「ハーリーさん?」
突然横から掛けられた声に、ラトフは心臓が止まりそうになるほど驚いた。ころころと、まるで鳥か何かがさえずっているかのような軽やかな声。
ラトフはゆっくりと、声の主に顔を向ける。
「どうしたの? きょろきょろして」
くりくりとした大きい黒い眼がこちらを見つめる。ボリュームのある赤茶色の髪が首筋まで垂らされ、身にまとっている黒いレースのドレスとのコントラストがラトフの目には美しく映った。
『エリノア・アーデンロード』が、そこにいた。豪華な黒塗りの椅子に座り、不思議そうに小首を傾けている。
「……何でもねぇよ」
意図せずして勝手に口が動き、言葉が紡がれていく。ラトフは改めて、夢であることを実感する。
「そう? それならいいけど……。あ、そうだ。また何かおもしろい話聞かせてよ」
「あぁ? 話?」
「そ。何かあるでしょう?」
あるのを前提としているらしい。ラトフは顔は自然と苦笑していた。
「一応これの主役だろうが。いいのか?」
「だって座ってるだけなの退屈なんだもん」
リスのように頬を膨らませ、心底つまらなそうな顔をしたエリノアを見て、ラトフは思わず吹き出した。
やけに子どもっぽい表情だった。一応、彼女は彼と同い年。この時点で十八歳になるはずなのだが、顔のつくりが幼いせいで、もっと下に見られても不思議はない表情だった。
「さっきの食い逃げの話はなかなか良い線行ってたなぁ」
「なかなかってお前、大爆笑してたじゃねぇか。アリソンさんが心配してたぞ」
彼の口は相変わらず、勝手に流暢に動く。
対して頭だけは妙に客観的に働いており、自分が言った言葉さえも傍らで聞いているかのように思えた。
しかしどれもこれも、実際に言った記憶のある言葉ばかりだ。
彼の中の過去をそのままなぞっている。
「仕方ねぇな……」
渋々と言った内容とは裏腹に、ラトフは自分の頬がゆるむのが分かった。
そして、エリノアが大きい目を純粋に輝かせて、ラトフの顔を見つめているのが目に入る。
――嬉しそうな顔してやがったな。
もう見ることは叶わないかもしれない笑顔が、そこにあった。
2.
「……フ、ラトフ! ちょっと起きなさいって!」
激しく上半身を揺さぶられ、ラトフは慌てて目を覚ました。次いで、彼の背中に固い感触。そして、小刻みに地面が揺れているのに気づく。
数秒経ってから、自分が列車の座席に座っていた事を思い出す。
彼が目覚めたのを確認すると、アニーは少々不機嫌そうな顔でやれやれと呟いた。
「そろそろ着くみたいだから、準備したら?」
アニーは言って、膝に掛けてあった茶色いコートを羽織った。
その様をぼんやりと見ていると、だんだんと寝起きのラトフの頭がはっきりとしてきた。
「……あぁ、夢だよな。やっぱ」
ぼんやりと、ラトフは呟いた。
「え? 夢?」
「いや、何でもねぇよ」
アニーは一瞬怪訝そうな顔をしたが、気には留めなかったようで、すぐにラトフから視線を外した。。
「そう? あぁ! こいつまた寝てる!」
さっき起こしたのに、とアニーは眉根を寄せて呟く。そして、窓側の席で腕を組んで寝ているハンスの上半身を揺らしにかかり始めた。随分荒っぽい。
その様子を見て、ラトフは苦笑する。そして同時に、改めて現実を見せつけられたような気がした。
彼ら『ティルヴィング』の三人は、『クエルティ』に向かう列車に乗っていた。
アリソンは気の早いもので、次の日に『ティルヴィング』の事務所に顔を出して来た。返事は急がない、とは言っていたがやはり気がかりだったのだろう、とラトフは思っている。
マスターを始めとしたその場にいたメンバーには、ラトフが前もって概要を伝えておいたこともあり、話は驚くほどスムーズに進んだ。殆ど二つ返事であったから当然だが。
そして今、『クエルティ』には後二、三分程度で到着する距離にまでやってきた。
「よぉ、起きたか?」
まるで猫のように体を伸ばすハンスに、ラトフは軽い調子で声を掛けた。
「んー……」
意識がはっきりしていないらしい。
ラトフは、起きたは良いが、まだぼんやりしているらしいハンスの体越しに外を見る。
窓の外の景色は白一面に染まっていた。
線路沿いに植えられた背の高い木々は緑と白が入り混じり、時折見える家の屋根には白い帯のように雪が積もっていた。
それに加え、灰色の空からはまた新たな雪がゆっくりと降りだしているようだった。
『クエルティ』一帯は、この大陸の中でも指折りの寒さで知られる地域だ。ラトフ達のいた『ミークネス』では涼しく過ごしやすいくらいの気候だったのだが、こちらは極寒だ。
景色から目を離し、ラトフは座席に深く身を埋めた。そして、先ほどの夢を思い出す。
あの夢は、六年前のあの日を忠実に再現していた。
あの当時は二晩に一回は同じような夢を見たものだ。年月が経るにつれて回数は少なくなったが、時たまこうして思い出したように見てしまうのだ。
彼女、『エリノア・アーデンロード』がベッドに磔の状態になる、ほんの少し前の出来事だった。
箱入り娘で殆ど世間について知らなかった彼女は、ラトフの世間話を興味津々に聞いていた。
彼女はいわゆる名家のお嬢様だった。そして彼女つきの執事が、『アリソン・ホフマン』だった。
外には滅多に羽根を伸ばさせてもらえず、箱入り娘となってしまっていたのだ。
彼女はその単調な生活が心底退屈なようで、時と場を選ばず自分が主役の立食パーティーの途中でさえも話をせがんできた。
まだ若く便利屋として駆け出しの頃で、話のタネに出来るような面白い経験など殆どなかったが、どんな些細な内容でもエリノアは楽しそうに笑っていた。
――そう、笑っていたんだ。
その輝く様な眩しい顔と、ベッドの上の青白い顔が一瞬交差した。
がくん、と列車の速度が落ちる。
視界の端に隣のハンスが唸りながら伸びをするのが見えた。ようやく目が覚めたようだ。
それからしばらくして、厚手のコートを羽織った車掌が車両の扉を開けて中に入ってきた。すこし甲高い声で、駅への到着を告げた。
3.
ハンスが雪が白く積もっている『クエルティ』の駅から一歩外へ出ると、冷たい外気が顔を打った。吐く息も白い。一気に頭がすっきりと覚醒した気がする。
薄く雪が積もっている地面を踏みしめると、雪が体重でぎゅうと押しつぶれる音がした。
ハンスに続き、ラトフとアニーの二人も降りてくる。
「こりゃ、すげぇな。一面雪景色だ」
「ほんと」
黒いコートを羽織り、革手袋をしたラトフが関心したように呟いた。アニーがそれに頷き、同意を示す。彼女は厚手の茶色いコートを羽織り、白いふわふわとしたマフラーを首に巻いていた。
列車の窓からも白一面の景色は見えていたが、直接自分がそこに降り立つと、また違った感覚を覚える。
「あぁ、寒ぃ……とっとと行かないか?」
「全くお前は情緒ってものが無ぇな」
「寒ぃのは苦手なんだよ」
黒いコートを一枚入っただけの、ラトフとアニーの二人に比べれば薄着のハンスが言った。腹の前で両手を交差させて、自分の体を抱くような姿勢。寒さを身体全体で表現しているかのような仕草だった。
ラトフとアニーは顔を見合わせて肩をすくめる。
そしてすでに歩きだしたハンスの後を追った。
丁度駅の正面に、『クエルティ』の町への入り口があった。そこから一歩足を踏み入れると、円形の広場が目の前に広がってくる。ベンチが数個備えられているが、こちらも雪に覆われてしまっていた。
『ミークネス』と比べるとあまり背の高い建造物は少ないが、決して町の規模が小さい訳ではない。
広場を取り囲むようにして、逆三角形の屋根を持つ民家が連なっている。どの屋根も既に白くなっていた。
雪が降っているせいか、外を歩く人間はハンス達三人以外は誰もいない。
そのためか、とても静かだ。
三人は特に会話もせずに歩き、三人の足が雪を踏みしめる音だけが響いていた。
広場の左手に伸びる道に折れ、ポケットに手を突っ込んで縮こまりながら歩くハンスを先頭に直進する。
「こっちで良いんだよな?」
「えぇ。この町で一番大きい建物……まぁ、あれでしょうね」
呟いたハンスに、アニーが頷く。
その先に、今回の目的地はあった。
そこには一軒の大きな屋敷が建っていた。全体的に丸みを帯びたデザインで、奥行きが深い作りだった。
他の民家と同じような逆三角形の屋根。その屋根の上には、翼を広げた小さな鳥のような彫像が立てられている。
二階建てのようで、見上げるほどの高い位置にはバルコニーと、外に出るためのガラス張りの扉があった。ガラスの向こう側に、微かに紅色のカーテンが見えた。
ここが、現在アリソンが勤める屋敷だ。
『クエルティ』でも名のある家だけはあって、他の建物とは一線を画しているのが分かった。
扉の前で三人は足を止める。
そして、ラトフが進み出てノックをする。
少しすると、ゆっくりとドアが開き、アリソンが顔を出す。
「よぉ、来たぜ。アリソンさん」
「あぁ、到着なさいましたか。遠路はるばる本当にありがとうございます。お寒いでしょうから、どうぞ中へ」
アリソンは柔和な笑顔で三人を迎える。
三人は、促されるままに屋敷の中へと入った。ラトフを先頭に、ハンスとアニーが並ぶようにそれについていく。
暖炉の火を入れているようで、外と比べると随分温かい。ハンスはほっとしたような溜息をついた。
アリソンに促され、三人は赤い絨毯の敷き詰められた床を歩く。
玄関から少し進むと、大広間に出た。
ハンスが見渡すと、正面と左右にはの部屋に繋がる扉。
中央にはテーブルと黒塗りの椅子が四つ置いてある。簡単な応接はこちらで行うらしい。暖炉には火が起こされていて、ぱちぱちと燃える音がしていた。
その広間は吹き抜けの構造になっており、向かって左手側に二階部分に上がる階段が見えた。
「今日は旦那様は仕事の関係上こちらには居らっしゃらないので、私が留守を任されております。何かご入り用でしたら、申しつけください」
「あぁ、ありがとう」
ラトフが歩きながら返事をする。それを聞きながら、便利屋相手にここまで恭しく接する人も珍しいとハンスは思った。
アリソンは正面の扉を開け、中に入る。三人もそれに続く。
その部屋は赤いソファが備えられた応接室のようだった。この部屋も、暖炉に火が入れてある。
「この部屋はご自由にお使いになられて構いませんので。一応、この屋敷の者にも話を通してあります。何かあれば彼らに訪ねていただいても構いません」
「何から何まで悪ぃな」
「いいえとんでもない。こちらから調査を引き受けてくださったのだから、当然です」
実際、便利屋がここまで好待遇を受けることはそうそう無い。そこにアリソンという人物が滲み出ている様にハンスには思えた。
言うと、アリソンは一礼して部屋から出ていく。
去り際に、自身の執務室の場所と大抵はそこにいる旨を告げて。
あまり音を立てないようにドアを閉めて出て行ったアリソンを見送ると、ハンスは飛びつくように暖炉の前に陣取り両手をかざした。
「はぁー……生き返るなーこりゃ」
「だからもっと厚着しろつったろ。上着一枚じゃ寒いに決まってんだ」
ラトフが呆れたように言った。
「これしかないんだよ……しかし寒ぃ。『ミークネス』とはえらい違いだ」
「ほんと……もうちょっと横にずれて」
言いながら、アニーも暖炉の前でハンスの隣に立つ。態度には出さずとも、彼女にも堪えていたらしい。
ラトフはお前もか、という視線を彼女に送った。
「そういや、ラトフ。あの人と知り合いなんだろ?」
ハンスがふと思い、何気なく尋ねる。
「ん、まぁな。六年ぶりに会った」
するとラトフの表情が、一瞬だけ強張った。ハンスは首を傾げる。だが、すぐに暖炉に揺らめく炎に視線を移した。
『アリソン・ホフマン』と名乗った執事は、ラトフと旧知だと言う。
二年間同じギルドで便利屋をやっているハンスとラトフだが、互いの生い立ちや過去は深くは知らない。
二人とも自分の事をべらべらと喋る性格でも無いし、そこまで興味も持たなかったからだ。
――何か、あったのか?
一瞬だけ、ハンスの頭にそんな疑問が生まれる。
しかし、ハンスはそれを気にも留めずに目の前の暖炉に手をかざしていた。
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