〜『スニーク・アップ・ザ・スニーカー』第四話〜
1.
アリソンは自身の執務室で、書簡と睨み合いに勤しんでいた。
屋敷の管理や来客の接客等はもちろんのこと、主人が留守の間に、自分達だけで処理できるものとそうでないものを分けておくも執事としての主な仕事だった。
ある企業から送られてきた投資の申し込みの書簡を手にした時、ドアがノックされる音が鳴った。
アリソンは椅子から立ち上がり、ゆっくりとドアの前まで歩き、ノブを回す。
するとそこには、彼にとって懐かしい顔の金髪の青年が立っていた。
「おやラトフさん。どういたしました?」
「あぁ、仕事中だったかな」
「いえ、構いません。急ぎという程のものではは無いので」
アリソンはどうぞ、とラトフを部屋の中に招き入れる。金髪の背の高い青年はそれに応じて、大股で部屋に足を踏み入れる。
アリソンの執務室は、ラトフ達三人が通された応接室と似た間取りであった。
南向きの窓と、それに直角になるような位置に暖炉が備えられている。やはりこの部屋にも火は入っていた。
中央付近には二つのソファとその間にテーブルが置かれ、丸く透明な容器にはコーヒーが淹れてあった。アリソンが淹れたコーヒーだ。
ラトフは来ていたコートを脱ぎ、ばさりとソファに掛けた。そして、ゆっくりとソファに座り背もたれに身体を預ける。
「コーヒーでもお飲みになりますかな? あぁ、貴方の淹れたものに比べるとは比べるべくもないかもしれませんが」
アリソンが微笑みながら言った。
「いや、貰うよ。あんたのコーヒーは美味かった覚えがあるし」
「それは光栄ですな」
アリソンはにっこりと微笑んで、ラトフの向かいに座った。そして、右手を伸ばして容器をとり、テーブルに置いてあった陶器のカップに注ぐ。
ラトフはその取っ手を右手で掴み、口に運ぶ。その過程で、持ち上げたカップを顔の前で止め、まず香りを確かめるのが彼なりの楽しみ方だ。
右手を傾け、湯気の立つそれを口に流す。
一気にがぶりと飲んでしまうのではなく、僅かな量を大事に口に含む。それをゆっくりと、喉から身体全体にかけて浸透させるように飲む。
温かく熱い感触が、ラトフの全身の神経を震わせる。
暖炉のおかげでこの部屋の中は暖かいが、さらに身体の内側が熱を帯びてくるのが分かった。
「美味いな」
ラトフは溜息混じりに呟いた。小さい声だったが、アリソンの耳にはしっかりと届いて、彼は嬉しそうに笑った。
「あなたには及びません」
それを聞くと、ラトフは苦笑した。
「お嬢様は貴方の淹れたコーヒーを非常に好まれていましたね」
「……そうだったかな」
アリソンが独り言のように呟くと、ラトフから幾分元気の無い返事が返ってくる。同時に薄碧色の瞳が伏せられる。
やはり辛い話題なんだろうな、とアリソンは心の中で呟いた。
「えぇ、貴方のコーヒーを一口飲んでから彼女は『見つけた』、と言っていましたよ。彼女の好みの味だったのでしょう。それ以降は私達の淹れるものはことごとく貴方のものと比べられたものです」
それを聞くと、ラトフは少しバツが悪そうな顔をした。
「いや、責めているわけではないのです。ただ少し悔しくてね。女中達と貴方のブレンドを再現しようと躍起になっていたのですよ」
「そんな大層なもんじゃないけどな」
ラトフの言葉にアリソンは静かに笑った。
滅多に外に遊びになど行けず、パーティーくらいでしか外の人間と触れ合うことが出来ない。
しかし、それでも彼女は明るい人であった、とアリソンは思い返す。
家族や使用人達の前では明るく快活な笑顔を振り撒き、時にはお転婆に振舞って見せる。小鳥のさえずりの様な笑い声で、周りまでもを明るくしていたのだった。
だが、その実は非常に退屈な思いをしていたことだろう。
そんな彼女の下に、突然やってきた外の人間。
便利屋という、未知の存在。
それが、『ラトフ・ハーリー』だった。
アリソンもラトフに倣い、コーヒーを一口啜る。
喉から胸に掛けて、ゆっくりと温かさが走っていく。
その温かさにのせられたのか、思考はふわふわと浮遊しているような心地よさを感じている。
「あの時は、あなたがお嬢様の護衛をなさっていたのですよね」
思考はふわふわと漂い、過去へと飛んでいく。
「あぁ……十八の誕生パーティーの間守ってやれ……そう、話を持ってきたのはあんただ」
言いながら、ラトフはもう一口コーヒーを啜った。
「マスターも秘書さんも驚いてたな……。なんたってアーデンロードだ。俺達一般人じゃ、逆立ちしたって届かない所からの依頼だってな」
「驚いたのはお互い様ですよ。私はてっきりマスターのラナード氏が来てくれるものだと思っていたのに、お嬢様と年の変わらない少年が来たんですから」
「期待外れだったか?」
「まぁ、不安ではありましたね」
「手厳しいな」
――結局、不安は的中しちまったわけか……。
ラトフは、その思考を誤魔化すように前髪を掻き揚げた。
アリソンは突然、思い出したようにあっと声を出した。
「あぁ、すっかり話し込んでしまいましたね……ところで、何か御用件があったのでは?」
アリソンが言うと、ラトフはそうだった思い出した、と膝を手で打つ。
「もう少ししたら、あの二人連れて調査に出てみようと思う……って事を伝えに来たんだった。すっかり長居しちまったな」
「何卒、よろしくお願いします。出来る限りのお手伝いは致しますので……」
アリソンは真っ直ぐラトフの目を見て、強い口調で言った。
決して逸らされない視線に、ラトフは自分にかかる強い期待と信頼が感じられるようで、すこし居心地の悪さを感じた。
「それで、何か情報は無いのか? 怪しそうな場所とかさ。さすがにゼロからってのはきついぜ」
「そうですね……」
アリソンは顎に右手をやって、唸るように呟いた。
「……この屋敷から南に少し行くと、空家が連なっている地帯があります」
「空家?」
えぇ、とアリソンは深く頷いた。
ここ『クエルティ』は規模で言えば大陸でもそれなりの位置を占めている大きな町だ。ただ、放っておいたらいつの間にかそうなっていた訳では無く、昨今の政府による開発事業の賜物なのだ。
その一環の人口増加策によって家屋も大量に建設されたのだが、現在は打ち止めになっていた。
その原因はこの厳しい環境にあった。
「この寒さに適応できなかったのか、家だけ残して他の町に出て行ってしまうものがいるのです。加えて最近は入居者も打ち止めてしまって……」
「空家だけが残ったってか」
「えぇ。身を隠すとしたら、そこかもしれません」
「わかった、ありがとう。あいつらにも伝えておくよ」 ラトフはコーヒーを啜り、すっと立ち上がった。既に陶器のカップは空になっていた。
ラトフはソファに掛けてあった黒いコートを掴み、ぶるんと回すように後ろに回し、両袖に腕を通した。
そして、ドアに向かって大股で歩く。アリソンもその広い背中に、また後で、と声を掛けて見送っている。
ふと、ラトフはドアまで後数歩という所で、ぴたりと立ち止った。
「なぁ、アリソンさん」
目を丸くするアリソンに、ラトフは声を掛けた。
幾分弱さの見える、細い声色。先ほど話ていた時の声色とは、似ても似つかない。
「本当言うとな……。誰かと話したかったんだ。何か、あいつについての事を」
ラトフは言葉を切り、すっと目を瞑り数秒の間沈黙した。アリソンも何処か意外そうな顔で、ラトフの言葉を黙って待っていた。
何処か思いつめたようなラトフの顔が、重い空気を生む。それが、二人の間をゆっくりと流れた。
ぱちぱちと、暖炉にくべられた薪が燃える音だけが、部屋に響き渡っていた。
「吐き出したかったのかもしれない」
もしかしたら、調査についての話は二の次でこちらが本題だったのかもしれない。
そう考えついて、ラトフは苦笑した。
「六年間、腹の中で蠢いてたやつをさ」
2.
ラトフはアリソンの執務室を後にして、広間へと出ていた。今は頭に三角巾を巻いた女中が、はたきをぱたぱたと揺らしながら掃除をしているだけ。それ以外に人の姿は見当たらなかった。
彼女に軽く会釈をすると、向こうもこちらに気がつき、同じように返してくる。
それを見送り、応接室へとつながる細い通路へと折れる。さすがに通路までは暖炉の熱も入ってこないようで、肌寒さが肌を撫ぜた。
ラトフは歩きながら、今後の事を考えていた。
とりあえず、ここ最近は何か一つを優先的に考えるようにしている。そうでないと、際限無く思い出に沈み、溺れてしまうような気がしたからだった。
――空家ねぇ……。
アリソンが言うには、空家というのが怪しいようだ。確かに誰も住んでおらず、入居の予定も不透明ならば身を隠すのに使えないことも無いかもしれない。
しかし、とラトフの頭に疑問が浮かぶ。。
本当に何か良からぬ事をやらかそうとしている者達がいるのならば、そんな目立つ場所に居を構えるのだろうか。やるならば、もう少し綿密に工夫を凝らしてくるような気がする。
それでも、何か嫌な予感がするのは、確かだ。
思い出せる限り、アリソンはかなり気の付く鋭い男だ。彼が怪しい影を感じ取ったというのなら、本当にそういう輩が居るのかもしれない。
力のある家となると、こういう厄介事は付き物なのだろうか。アリソンさんも大変だ、とラトフは少し同情した。
何事も無ければそれでいい。悠々と、『ミークネス』まで帰るだけだ。
しかし、もし何かあったならば。アリソンに、そして彼が大切に思うものに危害を加えられるのならば。
――戦わなきゃな。
戦って、勝たなければ。
もう二度と、目の前で失う訳には行かないのだ。
ラトフの右手のこぶしは、いつの間にか血が通わずに白くなっていた。
しばらく歩いていると、目の前に応接室のドアが現れた。ラトフはそこで歩みを止める。
右手でドアノブを無造作に開けて、中に入り込む。
ドアを開けると、まず通路に比べて温かい空気が顔を撫でた。
そして続いて、中央にあるテーブルを挟んでいる二つのソファが目に入る。そこにハンスとアニーの二人は向かい合うように座っている光景が見えた。
二人は雑談中のようだった。
ハンスは背もたれにだらりと寄りかかり、アニーは足を組んで膝の上で指を絡ませている姿勢だ。
ラトフが入ってきたのに気が付いていないのか、話が中断する気配はなかった。
「……で、だ。そこであいつは言ったんだ。『意外と老けてるんだな』って」
声を掛けようと口を開きかけたラトフは、思わず動きを止めた。その様はまるで、水面に出たばかりの魚のように。
理由は簡単だ。
そのセリフには、身に覚えがあったからだ。
加えてその後、非常に面倒な目にあったのを思い出したからだった。
「なんとなく想像出来るけど……それで?」
「その一言のせいで、書類攻撃」
――あぁ、笑顔で怒る彼女は非常に怖かった……。
眼鏡のレンズの向こうに見える冷たい瞳を思い出し、暖炉で温かいはずだが、背筋が凍った。
「呆れた……ていうか、あの人そういうこと気にする人なのね」
「ん、まぁ。気にする年だってことだろ……。たぶんだけど……ん? おぉ、ラトフ居たのか」
「あら、随分遅かったわね」
はぁ、と脱力しているラトフにようやく気が付き、二人が声をかけてきた。
「…………お前ら、人の噂話してなかったか」
「……いや?」
間の抜けたハンスの返答に、ラトフは溜息をついた。
「ほら、行くぞ。仕事だ」
親指でドアを指し示し、ラトフは言った。
3.
ハンス達三人が玄関前の広間にたどり着くと、丁度執務室の方からアリソンが歩いてくるのが見えた。
「あれ? どうしたんだアリソンさん」
せかせかと早足で歩く彼にラトフは声を掛けた。呼ばれたアリソンは焦った様子で首だけをラトフ達の方に向けて応答する。
「あぁ、どうやら来客のようでして」
「来客? ……主人がいないのにか?」
ラトフは不思議そうに聞き返した。
「えぇ。どうやら私に用件らしいのですが……」
アリソンはそれだけ言うと、急ぎ足で玄関まで移動していった。そしてドアの前に真っ直ぐと直立し、来客を迎える体制をとる。その傍らには数人の女中が控えていた。
三人も、アリソンから少し離れた所に立ち傍観する。とりあえず、来客の対応が終わってから出よう、とハンス達は頷きあった。
ドアが躊躇なく開けられる。冷たい外気が外から流れ込み、それに乗った雪が何粒か屋敷の床に落ち、消えていった。
「突然ですまないね」
「あなたは……!」
ドアが開くと、その先の雪の上には六人ほどの男が立っていた。
ほぼ全員が白い絨毯のような雪とは対照的な、真黒い外套を羽織っていた。肩からひざ下までの長さのそれの上からでも、隠しきれない巨躯が伺える。
しかし、二人だけ例外がいた。
その黒い集団に周りを囲まれるように立っている、黒い毛皮コートの男。ちらりと、そのコートの中に赤い衣服が見え隠れしていた。
そしてその隣に立つ、長身で大柄の男。彼は膝まで丈のある灰色のコートを羽織り、寒そうな素振りなど一切見せずに目を刃のように細めて屋敷を観察していた。
『ユベール・プランケット』と、ベルホルトの二人だった。
「『ユベール・プランケット』……」
「知ってるのか? アニー」
「えぇ、まぁね」
ハンスの右隣りに立つアニーが曖昧に呟いた。
「あなたは、プランケット様……どうしてここに?」
アリソンの少し訝しがるような問いかけた。
しかし、ユベールは異にも解さない様子で微笑みを見せる。
「少し、相談したいことがあってね……あぁ、彼らは護衛のようなものだから、気にしないでやってくれ」
「分かりました。こんなところでは何ですから、部屋へご案内しましょう」
「あぁすまないね。急な事で、連絡も入れられなかったんだ」
ユベールは遠慮など微塵も見せずに屋敷へと足を踏み入れ、帽子を脱いで近くの女中に手渡した。
それに続き、ぞろぞろと外套の男達が中へと入ってくる。周りの女中は明らかに不審がっているのが、ハンス達には分かった。
その様子を、黙って見ていたハンスは直感していた。
美術館の時と同じ臭い、同じ感覚を感じる。隠しきれない、常軌を逸した正体。滲み出る裏の匂い。
――ヤバそうな奴らだ……。
その筆頭。
一人だけ、灰色のコートを羽織った四角い顔の男。
刃のように鋭い目。それはアリソンやユベール等を移さずに、ただ真正面だけを視界に入れていた。
その男に、ハンスに最も強烈な印象を感じた。
「おや?」
突然、アリソンの隣を歩くユベールが声を上げた。くるりと、頭を動かし、屋敷内を見まわす。
そしてその視線は。
――こっち向いてるな……。
ユベールは、ハンス達が立っている方向を見ていた。いや、ただ眺めているだけではない。
観察、監視と言っていいように、じろじろと頭の天辺からつま先まで舐めまわされるように視線が動くのを感じた。
まるで得物を探す蛇のように。
言い知れぬ不快感と嫌悪感が、ハンスを襲った。
「おやおや……まさか、ここで負け犬で臆病の便利屋風情に出会うことになるとは思わなかった」
「……負け犬だと?」
思わず聞き返した瞬間に、ハンスははっと気がついた。
もはや、ユベールの蛇の目線は自分やアニーを捉えてはいないことを。
ゆっくりと見せない線を追うように、首を左へと捻る。
そして、視線の先には、ただ一人。
「なぁ? 『ラトフ・ハーリー』君?」
ラトフはただただ無表情で、その視線を受け止めていた。
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