〜『ステップ・オン・ザ・ガス』第六話〜


1.

 二人はハーティと別れ、休憩室にやってきていた。
 そろそろ時刻は夜に差し掛かっている。盗賊が動くとしたら、恐らくは人も少なくなり身も隠せる夜半になるだろう。
 今日一日はここに缶詰めだろうから、体を休めておこうというラトフの提案によるものだった。
「おい、ハンス大丈夫か?」
「あぁ、まぁ大丈夫だ」
 そう言うラトフの顔は若干心配そうに見える。仕事帰りのハンスをここに引っ張ってきた負い目というのを少し感じているのかもしれない。
 ハンスはそれに生返事で答える。言ってから、自分の口調が思ったよりぞんざいなことに気がついたが、気にしている余裕は彼にはなかった。
 
 さっきのはなんだったのか。
 
 ハンスの頭の中を、ただそれだけがぐるぐると回っていた。
 あの後保管庫を歩き回ってみたが、当然ながら人一人が隠れられるようなスペースなど存在していなかった。
 それに、あそこには頑丈な鍵が施されているのだ。普通の人間が手に入れることができないそれを、ハーティが慎重に外すのをハンスも見ていた。この美術館にとっては命のような部屋であるのだから当然だった。
 絶対に忍び込むなど不可能のはずなのだ。
 では、アレは何だったのか。
 ハンスは先ほどの光景を思い出す。
 紫色の腰まで届くような髪をした、美しい女。まるで彫像のように整った顔立ちだった。そう、思い返せば、彫像のように『生きている』という実感、いわゆる生命感が希薄なようにハンスには感じられた。
 一体何処から、どうやって現れたのか。
 見間違いだと自分を無理やりに納得させてもいい。幻覚でも見たのだと切り捨ててしまってもいいかもしれない。
 しかしハンスにはどうしてもそうは思えなかった。それだけ、あの光景は鮮明にハンスの中に入り込んできたのだった。
 生命感は無さそうなのに、存在感はある。おかしな話だ、とハンスは思った。
 着ていた白いワンピースのような衣服に負けない程に白い肌。鼻先まで伸ばされた、真っ白い両手。
 ――何で俺に手を伸ばしたんだ?
 ハンスは、普段ならば軽々と否定するであろう可能性を、今回ばかりは肯定しかかっていた。
 アレは『人ではない何か』であろう、と。いくら頭は回らなかろうとも現実と非現実の違いくらいはつくつもりだったのだが。
 ハンスは後ろ頭をがしがしと掻き毟った。考え込むと出てしまう、彼の癖だ。
 しかし、怖いとか恐ろしいとかそんな感じは受けなかった、と思い返す。その両手で頬を包まれそうになった時、寧ろ暖かいような感じを受けたのだ。
 ハンスは体をソファに投げ出し、首をだらりと背もたれに預けた。『ティルヴィング』のソファよりも上質のようだ。一端体を埋めると、もう立ち上がりたくなくなってしまうような心地よさだった。事務所に欲しいな、とふと思った。
「なぁ、ラトフ」 
  ハンスはそのままの姿勢で、ラトフの方を見ずに言った。
「俺、心霊体験したかもしれない」
「……寝言は寝て言えよ、アホ」
 ラトフは苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。予想通りの反応にハンスは苦笑した。
「だよな」
「疲れてんだお前は」 
  どうやら、今日は厄日のようだ。予期せぬ仕事が始まってからから、おかしなことばかり起こる。正直に言えば勘弁してほしい。
  ハンスの頭はパンクしそうだった。思えば、これほど悩んだことは未だかつてあっただろうか。
 しかし今は仕事中である。それも美術品防衛という、それなりに大き目の仕事。そちらに集中しなくては、便利屋ギルド『ティルヴィング』の名が泣いてしまう。
 目星はついているのだ。手がかりは自分の勘だけだが、ハンスは自分の勘は最大限に信用することにしている。
「あー……」 
  ハンスは間抜けな声とともに、一際深い深呼吸をした。
  ひとまず切り替えなければならない。さっきのことは今一時だけ、隅の方に無理やりに追いやっておくことにした。
 丁度その時、休憩室の扉を開けて誰かが入って来た。
  二人がそちらに目を向けると、その男は従業員らしい風体の男がいた。きっちりと黒基調としたスーツを着こなしている。
 その手には盆を持っており、二つの湯気が立つカップが載せられていた。
「お疲れ様です」
 男はそう言いながら、驚くほどきびきびとした所作で、二人の前にあるガラステーブルにカップを置いた。湯気と共に香ばしい香りが二人の鼻を刺激する。
  ハンスはただ無表情、無言でその様子を見ていた。隣でラトフが気が利くねぇ、と呟いたのが聞こえた。
  彼は無類のコーヒー好きである。どうやらここの出すコーヒーの味が気に入ったらしい。
  男はすっと礼をして、整然とした歩みで扉の外へと出て行った。
「奴だ」
  ハンスはラトフの方を向いて呟いた。ラトフは驚いて、口に運ぼうとしたカップを思わず止めた。茶色い水面がゆらゆらと揺れ、危うく零れそうになる。
「アランだ。俺を見てた奴」
 ――茶色の髪を後ろに撫で付けた、長身の男。
  ラトフは目を丸くして、数秒間ハンスを見ていた。そして隣のカップに目を移す。ハンスはそれに指一本触れてもいなかった。
  すると、ラトフの観念したような溜息がハンスの耳に入った。
  金色の前髪をかき上げ、無類のコーヒー好きは自身のカップをテーブルに置きなおした。ハンスが少し驚きながらカップを見ると、一口も飲んでいない、手付かずの状態だった。
「ハンス」
「ん?」
「お前に賭けてやるよ」
 ラトフはニヤリと、実に楽しそうに笑ってそう言った。




 

     2.

 『彼』の前には、人間などは矮小なのだ、と改めて実感させられる。
 直接相対したことは数えるほどしかないが、それだけでも本能的な畏怖を刻む込まれるに足るほどだった。
 あらゆる物を凌駕する力。全てを覆い尽くす力。全てを可能にする力。
 『彼』には全ての力がある、そう思わされる。それも当然かもしれない。『彼』は、世界そのものなのだから。
 そしてその持てる全ての力をして、『彼』は邁進する。その過程においてさらに力を求め続ける。
 全てを『一つ』にするために。
 『彼』の下に、全てを帰すために。
 本来の姿へと、全てを戻すために。
 そして、自分を含むその他の人間全ては、『彼』の前にはただの駒でしかないのだ。
  
  

  
3.

 漆黒のローブに身を包んだ男が、闇にまぎれるように歩いていた。
  すでに時刻は夜半を回っているため、最小限の明りしかついていない。おかげで視界も悪い。しかし男にとってはさしたる問題ではなかった。
  ここの勝手は知っている。その為に長い期間を潜伏にあてたのだ。
 狭い通路を直進し、どんどんこの館の奥へと進んでいく。彼の靴音が通路に反響している音だけが響いていた。
 男は黙々と歩きながら考えていた。思えば今日まで妙な団に籍を置き、協力関係を取り続けていたのも、館の中に潜り込み雑用をこなしていたのも、今日のためである。
 男はわけもなく興奮していた。何事も成就の瞬間とは、興奮を掻き立てるものなのかもしれない、と男は思った。
 淀みなく男の足は進む。
 頭の中に刻みこめるほど何度も歩いた通路だ。男には、目を瞑ってもたどり着ける自信があった。
 衛兵は入り口の方に集中しているらしい。
まず中に侵入させないことを第一目標としているようである。ゆえに館内に待機している者は、比較的少ないようだ。ここまでは男の予定は順調に進んでいた。
 すでに便利屋共にも対応策を施してあった。かなり大味の策だが、背に腹は代えられない。これに関してはうまくいっていることを願うしかなかった。
 後は、『あれ』をこの手にするだけである。
 ――『ラヴィアンス』を。
 一つの扉の前で、男は止まった。
 そして懐に無造作に手を入れて、飾り気のない短剣を取りだした。
 男はその短剣の柄をしっかりと握る。自分の中にある力の流れを剣に乗り移らせるように。
 これを扱うのには毎回毎回肝を冷やす、と男は心の中で呟いた。下手をすれば意識を失う可能性もある。だが、それを補って余りある効果があるのも事実であった。
 すると、うっすらと薄く赤い膜が剣を覆っていく。同時に、若干男の体の重量が増えたような感触を覚える。
 それを見届けた男はゆっくりと刃を錠に近づけて――。

「よう、またあったな」
 声が響いた。
 男は弾かれた様に、発生源を振り返る。
 男の目には、そこに二人の男がゆっくりとした歩みで近づいてくるのが見えた。
  剣を提げた茶髪の少年と、背の高い金髪の青年。先ほどの声は前者から発せられたようだった。
「こんな夜中にどうしたよ? アランさん?」
 金髪の青年、ラトフが口元をにやりと上げながら言った。明らかにからかっている調子だ。
  男、アランはそれには反応せず、ただ顔を強張らせたままで自問していた。体はぴったりと停止していたが、頭の中だけはぐるぐると回転していた。
  ――何故だ。こいつ等も眠っているはずじゃないのか?
「さっきはコーヒーの差し入れありがとう。だがまぁ、睡眠薬入りはさすがに遠慮するぜ」
 ラトフは終始笑みを崩さずに言った。実際、あのコーヒーを飲まなかったのはハンスのおかげであるのだが。
 ハンスの勘をあてにしてコーヒーを飲まずにおいたところ、他の便利屋がそろって床に転がっていたのを見て確信したのだった。
「……なるほど」
 アランは低い声で呟いた。この二人は彼が用意した睡眠薬入りの差し入れを飲まなかった。対応策は失敗していたか、と心の中で呟いた。
「さて、じゃあ……」
 大人しく来て貰おうか、と口にしようとしたハンスは最後まで言い切れなかった。アランが恐ろしく機敏な動きで跳び出し、隣のラトフを蹴り飛ばしたのだ。 
  受け身を取って床に転がった彼に向け、ラトフ、とハンスが叫んだ瞬間、アランが短剣を振り上げながら飛びかかって来た。
  ハンスは瞬時に向き直って腰の剣を抜き放ち、振り下ろされた短剣を自信の得物で押さえる。金属同士がぶつかり合う、高い音が通路に響き渡る。
「やっぱ大人しくは捕まらないよな。じゃなきゃ面白くない」
「……」
 にやりと笑って言ったハンスの言葉には答えず、アランは無表情のまま短剣を握っていた。
 ハンスは剣を握る両手に力を入れ、前方へとアランを押し返す。その勢いのまま、アランはバックステップでハンスと距離を取った。
 ハンスはその様子に少なからず違和感を感じていた。
 自分から斬りかかってきたにしては、あっさりと引きすぎている気がしたのだ。打ち込んできた剣撃にも、重さはあまり感じられなかった。だがさしたる問題ではない。ハンスはそう思うことにした。
「いてて……無駄なことは止めとけよ。二対一だぜ?」
「ラトフお前、大丈夫か?」
「畜生が、俺としたことが……一世一代の油断だった」
 立ちあがったラトフが、大袈裟に悔しさに顔を歪めながら言った。
 彼の手には彼自身が相棒と呼ぶ銃が握られていた。六連発式リボルバーの銃口はしっかりとアランを捉えている。
 『ミスティル大陸』では銃の生産は盛んではない。出回っている物の殆どが、他大陸から仕入れられた物だ。ラトフのそれは部品だけを馴染みの貿易商人から譲り、彼なりの研究を重ねて組み立てた、まさしく『相棒』なのだった。
「くくく……」
 ハンスとラトフは同時にぎょっとした。
 アランが、突然に不気味な笑い声をあげていたのだ。
 この状況で笑っている、という事実も十分驚きに値したが、何よりその様子が二人には奇妙に見えた。
 それは心底おかしい、といった風な笑い声では無い。喉の奥からしぼり出たような不愉快な、他人を見下したような笑いだった。
 一筋縄ではいかない、とハンスとラトフは同時に肌で感じていた。
「なるほど二対一か。確かに、今はそうだな」
 アランは笑いながら続けた。そして、素早く懐に忍ばせた懐中時計を盗み見る。
 刹那。
 二人の背中を、何かがうごめく気配が襲った。
 
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