〜『ステップ・オン・ザ・ガス』第七話〜


1.

「……何なのこれ」
 アニーは目の前の光景を見て呆然と呟いた。
 彼女の目の前で、ロビーの白い床に数名の男が折り重なるようにばったりと倒れているのだった。
 近寄ってみると、どの男も屈強な体躯をしており、武器を所持しているのが見て取れた。
 出血や外傷も見える範囲では無いようだ。胸がわずかに上下しており、呼吸もしている。死んでいるわけでは無さそうだった。
 腰を折り顔を近づけてよく見てみると、彼女の耳に規則正しい息遣いが聞こえてきた。どうやら寝ているらしい、とアニーはその時初めて気がづいた。
 全員便利屋ね、とアニーは内心で呟いた。彼女はこの上なく冷静だった。
 時刻が時刻のため、もう館内に観覧客の姿は無くなっている。今は入り口や他に侵入の可能性がある場所を衛兵が固めている中で、職員が今日の後始末と明日の準備に追われていた。職員ならば規制の制服があるようだし、それは衛兵でも同じである。
 ――いったい何が……?
 ちら、と視線を床に移したところ、中身の零れたコーヒーカップが転がっているのが目に入った。
 コーヒーブレイク中に居眠りでもしたんだろうか。もしそうなら随分呑気な連中である。ますますもってわからない、と呆れたようにため息をついた。
 そういえば、とアニーは思い返した。
 自分の所にも従業員らしき男が、湯気の立つコーヒーを差し入れに来ていた。いかにも紳士という感じの身のこなしでアニーにカップを勧めて来たのを思い出す。
 そういえば飲んでないな、とアニーは呟いた。コーヒーより紅茶派だということもあるが、単純に飲みたい気分ではなかっただけなのだが。
 盗賊団など来るわけがない、もしくは来ても大したことは無い、という余裕のつもりなのだろうか。
 アニーも一番初めに話を聞いた時には、他人事のようにそう思ったものである。悪戯ではないか、というのが第一印象であった。
 しかし仕事は仕事。現にここに来てしまっている以上、気を引き締めていなければならない。
 アニーは非難めいた視線を眠りこけている男達に向けてから、踵を返した。
 彼女は先ほど、館長のハーティという男から今回の護衛対象と対面させられていた。『剣』を展示するなど酔狂だ、とは思ったが報酬をもらう以上、やるべきことはやらねばならない。今回の物の元へ向かおうと思った。
 すると、反対方向から歩いてくる人間が、アニーの目に入った。
 どうやら女性のようだ。歩くたびに揺れる長く黒い髪がぼんやりと目に映る。
 黒いローブを羽織っているようだったが、よく目を凝らしてみるとその下には黒と白を基調とした制服を着ているようだ。
 妙な格好だ、とアニーは思った。しかしそれ以上は特に何の感慨も抱かず、通り過ぎようと歩を進めようとした。
 しかし次の瞬間、アニーは反射的に跳躍した。
 金属が床に当たった、甲高い音がアニーの耳に届いた。
「……何のつもりかしら?」
 靴音を鳴らして着地すると、アニーはその青い目を鋭く尖らせて、黒いローブの女をにらみつけた。
 女の手には湾曲した刃を持った剣。
 ――何のつもり……?
 アニーの言葉には返事をせず、女は再度剣を構え切っ先を真っ直ぐアニーに向ける。
 目の前に立つ女から放たれる威圧感が、ぴりぴりと肌を打つ。
 素人では無い。アニーは肌で感じ取った。
 やるしかないか、とアニーは心の中で呟き、背中の槍を手にした。

 

2.

 右、左と交互に剣を降り下す。しかし、アランの持つ短剣は、まるで吸い寄せられるように正確に動いてそれを弾く。
 ハンスは思わず舌打ちをし、後ろに跳んで相手と距離を取った。
 素早く周りを見渡せば、アランと同じように黒いローブを羽織った男が六人ほど確認できた。
 それと同時にハンスの後ろの方から破裂音が響き、漂ってきた独特の臭いが鼻をつく。間髪いれずに黒いローブの男一人がくぐもったうめき声をあげて倒れた。ラトフの相棒が火を噴いたらしい。
 ――あと、こいつを入れて六人、か。
 ハンスは目の前の男を睨みながら、内心で呟いた。この狭い通路で五人も六人も相手にするのはいささか骨が折れそうだ。
 アランを追い詰め、ハンス達にとって有利であったはずの形勢は一気に不利に傾いていた。
 あの後、ハンスとラトフがうごめく気配に振り向くと、そこには各々の武器を持ったローブの男達が立っていたのだ。
 二対一から、二対六。
 用意周到だな、とハンスは漠然と思っていた。彼にとっての最終手段なのかもしれないが、やはり一筋縄では行かない相手らしい。しかし『盗賊団』を名乗るなら、それくらいでなければ、とも同時に感じていた。
「はぁぁ!」
 咆哮と共に、アランが踏み込んでくる。腹部を狙って、下段から斬り上げるように振るわれた短剣を、水平にした剣で受け止めた。そのまま上に押し出すように力をいなし、空いた胴を素早く薙ぐ。しかしアランは軽い後ろへのステップを踏み、ぎりぎりの所でハンスの剣は空を斬った。
 次の一撃を狙おうとしたハンスは、反射的に転がるように横へ跳ぶ。
 背後に気配を感じた瞬間には反射的に体が動いていた。案の定後ろに迫っていた男の剣は、空を斬っていた。
 ――挟み撃ちか。
 素早く立ちあがり、剣を構えた瞬間。
 再度破裂音が響く。
 そしてそのすぐ後に、黒いローブの男が肩を抑えながらばたりと倒れる。
「油断してんじゃねぇぞ!」
 破裂音の主はすでにハンスの方を向いてはおらず、声だけをかけてきていた。
 ラトフは右に愛銃、左にナイフを手にしながら、三人の黒ローブと対峙しているようだった。この狭い通路で乱射してしまえばハンスを誤って撃ちかねないためだろう。
 後ろに気づいていないハンスを見かねて、右手の愛銃の引き金を引いたのだ。
「……お前もな」
 ハンスは薄く笑って呟いた。ラトフの耳には入らなそうな声量だった。
 しかし、とハンスはアランの短剣を防ぎながら考える。アランだけに集中するわけにもいかない。現在残っているのは見た限り、アランを含め四人。
 先に周りを潰そうか、と考えて、即座にその考えを否定した。アランを自由に動ける状態のまま放っておく方が後々面倒になりそうだ。
 ハンスの視界に二人。
 今度は二人同時に斬りかかってきた。一人は正面からハンスの剣を抑える事を狙い、もう一人は側面への斬り込みを狙う。
 ハンスは慌てずに、真っ直ぐに振り下ろされる剣を力を込めて弾き返す。
 そして素早い動作でしゃがみ込み、そのままくるりと時計のように回転。目の前の黒い足を斬りつける。
 ハンスのその動きが予想外だったのか、もう一人は一瞬呆気にとられた様に動きを止めた。
 ハンスはそれを見逃さず、呻き声を上げてしゃがみ込む男から瞬時に目を離し、向き直って袈裟斬りを見舞う。
 血飛沫と共に男が倒れるのを最後まで見送らず、ハンスは剣を構える。
 息をつく間もなく、剣に重い衝撃が届く。
 数瞬も遅れずにアランが斬り込んできていた。
「くっ、小僧……邪魔を……!」
「邪魔すんのが俺らの仕事なんだよ!」
 ぎりぎりとお互いの剣同士をぶつけ合いながら、吐き捨てる。
 やはり強い、とハンスは実感していた。
 リーチではハンスの剣の方が勝っている。しかし、アランの常人の枠を超えた軽やかな身のこなしが、そのリーチの差を埋めている状況だった。懐に入られてしまえば、短剣の方が小回りが利く分スピードで不利になってしまう。
 その時、ハンスの耳に不愉快な声が届いた。
 眉根を寄せ、ぶつかり合う剣を挟んだ向こう側の男を睨みつけた。
「ククク……」
 再び、笑っていたのだ。
 にやりと口の端を上げ、氷のように冷たい目を細めながら。
「ククク……私の勝ちだ、小僧」
 アランは勝ち誇った調子で呟いた。
 ――何だ?
 ハンスには、一瞬赤い光が見えた。 
 次の瞬間、ハンスは大きく目を見開いた。信じられない、という感情が顔に浮かびあがる。
「少しお前を見くびっていたようだ。だが、武器が無くては……」
 ぽろりと、まるで木の枝が折れる様のようだった。
 ハンスは呆然と、床に落ち行く金属の塊を見つめていた。床に落ち、からんからんと小気味の良い音が通路に響き渡る。
 彼の右手には、柄と切っ先のない刀身だけが残っていた。
「戦えないだろう?」
「……くそっ、何した!?」
「言ったところでお前には理解できんだろう……さて、そろそろ仕上げに入らせてもらおうか」
 アランがそう言うと、再び気配。
 ぞろぞろと、黒い影が姿を現す。
 まだ現れるのか、とハンスは苦々しく呟いた。
「まだ来やがるのか……!」
 ラトフが、息の上がった声で悪態をつくのが聞こえた。ハンスがすっと視線を流すと、彼の周辺に三人の男が倒れているのが見えた。彼は彼でうまくやったようだ、と若干ほっとした。
「あれで全員だと思ったか。万一のために待機させていたのだ。本来ならば一陣も二陣も使わずに終えたかったのだが……」
 仕方があるまい、とアランは呟く。
 勝利を確信しているためか、ハンスにはどことなく上機嫌な声色に聞こえた。
 間髪入れず、ハンス達を挟みこむように黒いローブの男達が走り寄る。
 ハンスは瞬時に目線だけで数える。数は六人。
 屈強な体から胸を狙って突き出された剣を、ひょいと身を捻って避ける。その後ろに続いて真っ直ぐ振り下ろされた剣は横に跳ぶ。
 アランはその様子を見もせずに、再び短剣に力を集中していた。
 赤い膜に包まれる剣身。
「くそっ! ラトフ! ナイフ貸してくれ!」
「一本しか持ってねぇよ! つーか、てめぇには剣があるだろうが!」
 間断なく繰り出される剣撃を、持ち前の身体能力でひょいひょいと避けながらハンスが叫んだ。
 ラトフも気が立っているせいか、返す口調がかなり荒っぽくなっている。しかし二人にはそんなことを気にしている余裕はなかった。
「折れたんだ! とゆーか、折られた」
「折れた!? 安物使ってるからだろうが!」
「安物しか買えないんだから仕方ないだろ!」
 いつの間にかどうでもいい口喧嘩になっている。ハンスはくそ、と再度悪態をついた。
 さすがに素手で剣を相手にするのはこの上なく不利だ。ナイフでもあればどうにかなるかと思ったが、それも駄目らしい。
 仕方がない、とハンスは床に転がる剣を拾い上げる。
 他人の剣で戦うのは心許無かった。柄を握ってみるとやはり手に馴染むような感覚が無く、どこか扱いづらく感じる。
 だがこの状況では四の五のと言っていられない。
 ――覚悟を決めるか。
 ハンスは呟き、目の前に迫る男相手に身構えた。
 するとその瞬間。
 今まさに、ハンスに斬りかからんとしていた男が吹き飛んだ。
 ハンスが呆気にとられて吹き飛んだ男が立っていた所を見ると、見覚えのある金髪が揺れていた。
 手に持った自身の身長程もある槍で、男を殴り飛ばしたらしい。清楚な見た目と違い、かなり豪胆だ、とハンスは口には出さずに思った。
「賑やかだから来てみれば……」
「あ! お前は……!」
 ハンスは記憶の引き出しを手当たり次第に引く。
「あなた達、何やってるの? どういう状況なの?」
 左手を腰に当てた、凛とした姿勢で彼女は呟いた。
「えー………………そうそう! アニーだ」
「随分時間かかったわね……忘れてたんでしょ」
「いや、思い出すのに時間がかかっただけだ」
 アニーは少し呆れたような顔で、それって忘れてるってことでしょ、と呟いた。


 

3.

 錠が力に耐えきれず、両断されていく。一つまた一つと。
 後ろの喧騒はさらに激しさを増していた。どうやら便利屋がまた一人増えたようだ。
 しかし、問題は無い、とアランは確信する。
 もともと、この館内に潜り込ませていた男達は時間稼ぎのために使う予定だった。不測の事態が発生し、この錠前を破って『ラヴィアンス』を手にするのが予定よりも遅れた場合は第一陣。それよりもさらに時間がかかる場合は第二陣。
 邪魔者を消すのは、今のアランにとって第一目的では無い。『ラヴィアンス』を手に入れることこそが、至上の目的なのだ。
 最後の錠が落ちる。
 アランはちらと、肩越しに後ろの様子を見やった。
 金髪の槍を引っ提げた女が乱入し、暴れているようだ。槍のリーチを効果的に生かして、相手のリーチ外から打撃や刺突を見舞う。一目で、よく鍛錬されていることが見て取れた。
 金髪の男の方は動き回る相手に業を煮やしたのか、ナイフでの肉弾戦に移行しているようだ。それでも、さすがというべきか動きは素人では無い。
 そして、あの茶髪の小僧。
 わずかに刃を交えただけで、多少荒削りだが剣技は天性のものを持っている、という印象をアランは受けていた。加えて武器を折られたくらいでは挫けない負けん気もあるらしい。
 面倒な奴らに出会ったらしい、とアランはため息をついた。
 しかし、これで終わりだ。彼の狙いは成就する。
 アランの用意した戦力は一人また一人とやられているようだが、勝敗など全く期待していない。あの三人の注意をアランから反らし、持てる全ての力を以て時間を稼げばいい。彼らの存在意義はただそれだけに限られていた。
 ――『ラヴィアンス』さえ、手に入れば……。
 アランは自然と自分の口元が綻んでいくのがわかった。もしこんな緊急事態でなければ、大声で笑い飛ばしてしまいたかった。
 波状攻撃に対する迎撃に手いっぱいで、便利屋達はこちらまで手が回らないようだ。たかが三人では、仕方がないだろう、とアランは心の中で呟いた。
 もはや彼に失敗の恐れなど一片も無かった。
 知らずに、笑い声が口から漏れる。
 冷たいドアノブに手をかける。
 アランは勢いよくそれを引っ張り、部屋の中に滑り込むように侵入した。
 ガラスケースの中に、一本の剣がひっそりと置かれているのが彼の目に入る。
 ――これでやっと……。。
 アランは笑い声を洩らしながら、その輝かしい剣を見つめていた。
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